大正10年 賀茂郡廣村中央部一圓
大正10年(1921)に撮影された広村(当時)の、中心部風景です。
横路のちょっと小高い丘あたりから撮影された風景のようで、3枚に分割されて撮影されたものを結合しています。
山の稜線が消されているのは戦時中、風景から場所を特定されないようにするためと、軍事施設などを隠すためだと。

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この写真のウラには下のように書かれている。
また、右のように呉鎮守府の印が押されている。

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解説:
- これら3枚の写真は、お亡くなりになられた おもしろい堂店主「おやじさん」より提供頂いた物です。
- 以前、赤青黄色さんに仲介して頂き、外垣ガラスのご主人さんより何枚かの写真をお借りしたことがあります。
その時の一枚は、既に紹介している空中撮影のものですが、同時に「賀茂郡廣村中央部一圓」の写真も拝借しておりました。が、外垣さん曰く「オリジナル写真を複製のために撮影したものだ」と言われてました。
今回、おやじさんより提供頂いた写真が、正しくそのオリジナルだと言う訳です。
- 超特大画像で見ると、以下のことが分かる。
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- 田畑が多く、建物は東大川沿いと、東西を貫く街道沿いに多い。
- 手前の川(西大川)に掛かる木橋は今の「常盤橋」か。(もしかしたら「日の出橋」かも)
- 建物が密集しているのは東大川と街道が交差する辺り。今の中新開交番界隈じゃなかろうか。
- 東大川沿いに松並木がある。
- 東西を貫く街道は常盤橋から、建物密集地を通過して両谷方向に至る。
今の白石循環線のバスコースがかつての街道だった。
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掲載:2005年6月2日