長浜は長い浜だった(明治時代後期?)

いつも懇意にさせて頂いている、赤青黄色さん。広町の航空写真ヒロビシ醤油さんの時など、いつも仲介して頂き多くの情報を提供頂き、感謝しております。

そんな彼女が、ある日「長浜の知人から借りてきた」とスゴイ写真を手にやって来た。
手渡された小さいメモ紙には

三角浜から撮った写真だそうです。
詳細は不明。
こなきさんにどうぞ!!

って書いてある。

後方の山の稜線の形からして、長浜を三角浜突端のちょっと高い位置から撮影したものであろうことはすぐに私でも理解できる。


写真をクリックするととても大きな画像で表示されます。

どちらの写真もほぼ同じ場所から撮影されたものであるが、建物が下の方が多いから少し時代が新しいのかも。左側に鳥居も出来ている。


写真をクリックするととても大きな画像で表示されます。

三角浜の今の公園になっている部分にも家並みが見られ、また、長浜中学、小学校がある辺りが長い浜だったことが分かる。長浜は本当に長い浜だったんだな。後方の螺山はかなり上部まで耕作されており、また、浜には多くの船の姿が見受けられることからも、当時の長浜の隆盛の様子が良く分かる。

瀬戸内海で帆掛け舟が見られた時代。また、写真技術そのものが普及した時代。ネットで調べてみたのですが、明確な答えは見つからなかったのですが、どうも明治後期か大正初期頃かと思われます。
写真そのものが、まだ貴重だった時代には人物写真は多いけれど、風景写真は少ないと以前、誰かに聞いた事があります。そう言う意味でも貴重な写真です。

同じ場所から、今の時代に見た風景を撮影すべく、7月中旬に"その場所"に行ってみた。が…


登山禁止の看板が…

こっそり侵入して撮影することが出来ても、それを大っぴらにWebに掲載することも出来ないので、仕方なくこの看板の前辺りから撮影した。


もっと上から撮りたい。西山農耕組合の方、許可頂けませんか?

赤青黄色さん、そして写真を貸して頂いた知人の方、貴重な物をありがとうございました。

掲載:2005年9月16日