‘こなき’とは、一体どんな人間なのか…
いや、本当に人間なのであろうか…


名前 こなき
生年月日 1967.11.15生
住所 広島県呉市広町在住
性別
趣味 パソコン(コンピュータ全般)、ちゃりんこ乗り
職業 会社員(SE)

その1  私とパソコンの出会い
 それは、私が中学に入学後間もない頃でしたか… 私の4歳年上の兄が「そろそろ、我が家にもパソコンを導入すべきだ!」などと突然、父に進言したのでした。

 父も趣味がアマチュア無線とあって、まんざらパソコンが嫌いな訳ではなく、間もなく私達3人は広島市内の大手家電量販店の地下のパソコンコーナーに居ました。 その頃、店頭に並んでいたのはシャープのMZ80、日立のベーシックマスター、アップルのAPPLE II、タンデム(?)、ラジオシャック(?)、NECのPC-8001などでした。 APPLE IIは今で言う5インチFDが付いていたけどとにかく高価だったし、ベーシックマスターは唯一音楽が奏でられる(音階が出せる程度)ものだったし、どれも一長一短でした。

 で、私らが選んだのはNECのPC-8001でした。 理由は、唯一カラーのドットグラフィックが可能だったことです。 本体と、14インチグリーンディスプレイ、テープ装置なんか買った記憶があります。 (後に父から聞いた話ですが、このパソコンセットを買った代金は、父のボーナス1回分が全て飛んだとか…)

このPC-8001では、かなり遊びました。 → ゲーム専門でした…

その2 多感な青春期
 かくして、当時としてはまだ珍しかったパソコン=PC-8001を中学生時代に手に入れた私でありますが、中3ともなるとそろそろ高校進学を考えなければならなくなってきました。 「フツー」の頭の出来の私=こなきは、模擬テストの結果によると、市内の進学校に行くことも可能だった(らしい)のですが、成績順で行くと定員枠のほとんど最後の方に位置していたので「これで進学校に入ってもツライだろ〜な…」=言い訳、本当は「勉強は好きじゃないし、好きなことしたいな〜」と思っていたので、同じく市内の工業高校を受験しようかと思っていました。

 しかし、そんな矢先。 市内に情報処理科という学科を持つ高校があることを知ったのです。 その高校こそ、私の最終学歴となった、広島県立呉商業高等学校なのでありました。

この高校では、1年生の時にFORTRANを、2年生以降はCOBOLを学び、この頃の知識がいまだに仕事上の大きな基礎となっているという事は、言うまでもありません。

その3 怒濤の会社員へと
 高校時代にCOBOLを学んだ私は、就職先も運良く市内の某企業に決まり、希望通りシステム部門に配属されました。

 入社当初より6年の間は、高校時代に身につけたCOBOLを使い、汎用機のプログラムを開発しておりましたが、COBOLの発展性の無さに愛想尽かし(?)、その後は同じシステム部門でも、パソコン、UNIXを中心としたいわゆるオープン系を中心に担当しております。

 このパソコン、UNIXなどの世界がなかなか奥が深い! 中学時代のPCではBASICしか使わなかったけれど、MS-DOSの出現、はたまはたWindows3.1の導入、そしてWindows95/98、WindowsNTなどOSの進化は目覚ましいし、当初はDX2-66MHzで満足していたPCも、今ではPentiumV搭載のサーバや、PentiumU搭載のノート機などその進化は留まるところを知らない様子です。

 当然、このようなPC環境では、企業内ネットワーク(LAN)も事業所内に張り巡らされ、このLAN関係の管理なんかもやっております=(似非ネットワーク管理者)。
 あっ、そうそう。 最近、Lotus NOTESなんかが導入されまして、「我が社も一人一台のパソコンで電子メールを!」と、今時の流行を追ってまして… と言うことは、従来ならある程度スキルのある方々がパソコンをいじっていたのですが、この状況下ではどんな方でもパソコンをいじくっているのであります。 超パワーユーザから、エッチな画像を壁紙にしているオジサマまで、多種多様の方々がパソコンを使っておられます。 そりゃあもう、毎日が色んなトラブルや質問のですよ。

その4 30にして立つ…
 そんな毎日を過ごしてきた私=こなきも、遂に30歳になりました。

 で、30になって初めて見えてきたものが沢山あります。 仕事にしろ、家庭にしろ… 一番、自分でも驚いたのが「郷土愛」なるものが沸いてきたということです。 いや、これには自分自身も結構意外でした。 しかし、産まれてからずっと過ごしてきたこの町=広島県呉市広町(途中5年程別の呉市内に居た頃もありましたが…)の色んなものが、何か今までとは違った視点で見えるようになってきたのです。

 そこで、「何かしたいなぁ〜」と思っていた私は、このホームページを作ることを思いついたのであります。

 当面は、広町の紹介の中身は少ないですが、順次増やしていきます。 どうかご期待を。 そして、このページを見て欲しいのは「今は広町を去ったけれども、以前は住んでいたのよ!」という方々の見て欲しいのです。 もちろん、現在の住人の方々、近隣の市町村、果ては北海道から、沖縄までの方々にアクセスして頂いて、「へぇ〜、こんな町なんだ」と思って頂ければ幸いです。

 ホームページの技術も、今は未熟ですが、そのうち腕前も上がることでしょう。 気長に見守っていて下さい。

その5 ‘こなき’って変な名前!
  
自己紹介の最後になりましたが、なぜ私が‘こなき’と名乗っているかをお話しましょう。
 会社に入社した当初、私は今よりもず〜っとスリムでした。 で、私が配属されたシステム部門に居たソフトハウスの人が、「お前、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる、こなきじじいに似ている!」との第一声からでした。 あれから12年程経ち、名付け親のソフトハウスの方は既に私の会社には来ていませんが、いまだに「こなき」の響きが自分でも結構気に入っていて、いまだにハンドル名として使っています。