芳淵隋道の言伝え

広交差点から北(黒瀬方向)に国道375号線を3.5km程ドライブすると小さなトンネルを通過する。クルマで通るとあっと言う間に通り抜けてしまう、この短いトンネル。名前は「芳淵隋道」(よしがふちずいどう)と言う。この芳ヶ淵に関するお話が今回の話題。

芳淵隋道
広から黒瀬方向に向いて「上り」の芳淵隋道

 


あぁ、あれは...亡くなられた「おもしろい堂のおやじさん」から聞いた話。

広から黒瀬に登って行って最初に短いトンネルがあるじゃろお。そのトンネルは「芳淵隋道」って言うんじゃが、この「芳」に由来する話なんじゃ。

その昔、まだ広が広浦(ひろうら)と呼ばれ、大新開や中新開がまだ海じゃった頃、今の芳淵隋道がある小高い山の上には丸子山城って言うお城があって、お殿さんがおったんじゃ。
そのお城に仕える若き「お芳(よし)」と言う者が居って、お芳は大そうな働きもんじゃった。

来る日も来る日も真面目に働いていたが、ある日ちよっとした手違いでお殿様が大切にしていたお皿を割ってしもうたそうな。


お芳は大切な皿を割ってしもうた自責の念から、自らの力で丸子山城の横の崖から、すぐ横を流れる川の淵へと身を投げてしもうた。  


この崖の上からお芳は…

今でこそ芳淵隋道横の黒瀬川の流れは浅く穏やかじゃが、当時はダムも無く水量が多くて、川の流れが急激に蛇行している丸子山城の横では、その流れの勢いから川底は深くえぐれて淵となっており、お芳は帰らぬ人となってしもうた。

それ以後、お芳が身を投げた淵のことを誰とも無く「芳ヶ淵」と呼ぶようになり、芳ヶ淵で泳ぐと川底からお芳が足を引くんじゃと皆に恐れられたそうな。
 


黒瀬川対岸から見た芳淵隋道
芳ヶ淵はすっかり埋め立てられ面影も無い

時は流れ、お城もなくなり丸子山を貫通する形で掘られた芳淵隋道。その傍らに白装束姿のお芳を見たとか見ないとか噂話があってのお。

一時期、黒瀬から広に下るクルマが急な右カーブを曲がり切れずにトンネル脇に激突する死亡事故が何件か続いたのも、お芳が招いとんじゃ、言う人も居る。

 

と、まぁこんな感じ。

皿を割ったと言う部分には別の説もあって、お城のお殿様に恋焦がれたお芳が、叶わぬ恋路の果に思い余って身を投じたとの説もある。

あの場所はちょっと前までは確かに淵になってた。淵で泳いでたらお芳が居ようが居まいが、溺れちまうこともあるよのお。


99年9月台風の時は大変でした

1999年の台風豪雨の時に堰が決壊したことから、淵は埋められ川岸はコンクリートで覆われてしまったから、今ではお芳を偲ぶことも難しくなってしもうたんよ。

 

クルマがカーブを曲がり切れず激突した事故が立て続けに起こったのも、長い下り勾配が続いてスピードが出たクルマが、芳ヶ淵隋道の手前は急な右カーブになってるからハンドルを切り損ねてぶつかっただけなんじゃろうけどの。


アーッ!危ない!!下りも安全運転で


昭和十七年七月竣功(竣工)と記されている


まぁ、この話を信じるか信じんかは読んだ人に任せるけど、
トンネルの名前として「芳ヶ淵」って名前が残ってるんだから、
お芳の悲運だけは本当のことなんじゃろうね。

作成:2005年7月29日