呉糧配協同組合 広中央店の建物

今はなくなってしまった古い建物。
中新開1丁目の一角、国道375号線沿いに建っていた古い建物。

呉糧配協同組合 広中央店
呉糧配協同組合 広中央店:2002年5月12日撮影

私が知っているのは呉糧配のお店としてであるが、当初は戦時中の海軍工廠の購売所として建てられたとのこと。
こなきが子どもの頃(1970年前後?)は、2階に宗教団体さんが間借りしていたこともあったが、それが移転されてからは2階部分は空き家となっていた。

工廠の購買所だった当時であるが、昭和18年頃より戦争が激化し食糧難の時期になると食料などの配給が行われる、「配給所」となる。
配給所には、通帳を持って行き、コメやタバコの配給を受けていたと。

配給に関しては、こちらの方のブログに詳しく書かれているので、ご覧になられてください。
http://bokumo-aicyan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_ac9d.html

また、地図子さんからも、以下の情報を頂いております。

配給所。 当時は 購買所 と呼んでいました。広海軍工廠共済組合の物資販売施設だったようです。
私が 広小学校に入った昭和10年には  はあ ありました。

がっちり と 角張った建物なのは 記憶どおりです。海軍をバックに 資材を惜しみなく使って 丈夫本位に作られたからつい最近まで 現役で頑張れたのでしょう。
 
もっと高い位置に建っていた と思うのは まだ私がこまかったから。
後ろのマンションのあたりは 緑の田畑でした。

その頃の 私は 小学生で 暮らし向きのことは 記憶がうすくて残念です。
我が家に 缶詰とか 胚芽米とかが 購買所から と言って配達されてきてたことくらい。

戦後、建物が呉糧配により長らく使用されてきたが、その糧配の建物に異変が訪れたのは、2006年の秋。

2006年9月2日 撮影

ある朝突然、足場が組まれ重機が姿を現した。
あぁ...解体されてしまうのね。

古くて、フロアも広い建物なので、個人的には内部を改装してオシャレなカフェにでも生まれ変わればいいのに…なんて勝手に思っていたが、現実はこのようなものである。

建物の東側(小学校側)。

西側(商店街側)。

翌日には、もうにんなに壊されている。

西側、国道375号に面した部分のシャッターが、レトロ感ある鉄製だった。

壊している途中の壁内部の様子。鉄筋コンクリート造り。当時としては、かなり進んだ建物だったのでしょうね。

取り壊して以降、しばらくの間は更地のままだったが、今はマンションの展示場となっている。

2009年1月4日撮影

往時を偲ぶものとしては、この車寄せのスロープ部分が残っているのみ。

地図子さんとの会話の中で「昔の記憶だと、もっと高い位置に建っていたと思っていたのに…」って言われてましたが、実際もっと高い位置にあったと思います。と言うのも、この建物が面していた国道375号バイパスは昭和40年代に出来たものであり、それ以前は周囲は今よりももうちょっと地面(周囲の路面)は低かったことと思われます。

商店街の「広大店会」の建物が無くなってしまったことは既にお伝えしておりましたが、それと前後して、またも古い建物が無くなってしまいました。

作成:2009年2月11日