2001年3月24日 震度5+の地震発生!!

 3月24日午後3時28分 広島県を中心として激しい地震が発生しました。震源は安芸灘(瀬戸内海)。地図で震源の図を見ると、なんだか広湾あたりが震源のようにも見えます。まぁ、かなり震源には近いってこと。
 呉市本通5丁目では壁が倒れ、一人の方がお亡くなりになるなどの被害も。

地震発生時:

私達家族は当日、東広島のユニクロに行ってまして、そこから自宅へ帰る途中でした。車が徳丸あたりの信号で停車していた時… 午後3時28分。 車は激しく左右に揺れ30秒くらいは揺れたでしょうか。右(北)側には、採石場が見えるのですが、採石場の崖は激しく崩れ落ち、土煙が舞い上がっていました。
私の車の2台後ろの車は、民家の瓦が落ちてきていて、車の天井に降り注いでいました。
 中新開の家に帰ると、隣りの家のブロック塀は一部壊れているし、私の家の屋根瓦も一枚だけ落ちていました。家の中に入ると… 

 上の写真のように、食器棚のモノが落ちていました。テレビが乗っているAVボードも大きく前に移動していた。地震の激しさを物語っていました。

 我が家がさほど大きな被害が無かったので、家内には申し訳ないのですが会社に向いました。(私は会社のコンピュータの面倒を見ているので、行かざるを得なかった…)
 会社の方では、コンピュータのモニタが落ちたりしているのだろうなと思っていたのですが、それは無かったです。ただ、ホストコンピュータの一部の機器が故障してしまいました。家に帰ったのは、午後11時30分過ぎ。

 家に帰ると、目の前の広小学校校庭は真っ暗なのに、なぜか多くの人が暗闇に群れています。行ってみると、給水を受けるために、多くの人(多分、100人くらい)の人々がポリ容器などを持って、列を作って待っていました。断水です。阿賀港付近の大きな水道管が破損してしまったとのことで、広・仁方地区では、広い範囲で断水し、このことはテレビでも報じられていました。
 翌朝、広小学校にいってみました。

 

翌朝には断水も復旧しており、給水車から給水を受ける人もまばら。でも、雨が降る中「水は出はじめたが、濁って飲めん!」と、ポリタンクを差し出す人も。給水作業を行っている方々は、夜通しやっていたそうで、本当にご苦労様です。

旧呉市内、特に山添いの斜面にある家々では被害がおおきかったようです。それは、石垣の上に建っている家や、少し古い家などの被害が大きかったようです。広はほとんどが平地なので、家屋の倒壊のような大きな被害は発生していないと思います。屋根が一部壊れてしまい、ブルーシートで覆っている家はちらほら見かけます。また、ブロック塀もこの通り…

 

 よく言われる事ですが「災害は忘れた頃にやってくる」って言います。私なぞも「瀬戸内海は地震は起きない」と思っていましたからね。この辺で多い災害と言えば台風ですが、やはりいざと言う時の備えは必要ですね。