長ったらしいタイトルでスミマセン。
3月14日の新聞記事に出てた。「大和ゆかり呉の元射場整備が進む」記事リンクはこちら。で、この記事によると見学会が3月26日に開催されると言うので、早速申込んどいたのよ。で、本日参加してきた。
生憎のお天気、小雨のパラつく中、集合場所である倉橋公民館には定員の倍の60人が集まっていた。内容が内容だけに参加者の平均年齢は高い。私が若い方から2番目である。
倉橋公民館は、桂浜温泉の隣。ここから史跡までは遠いので更に車で移動。倉橋の端の端。あんなにも奥地まで行ったのは初めてである。
車が入る最終地点に駐車し、さらに徒歩移動。30分くらい歩く。舗装道ではあるが、急な山道をかなり歩いた後に、ようやく亀ヶ首に到着。
戦前に作られたトンネルを抜け、当時の史跡の数々を巡る。沢山画像を撮影したが、既に立派なページが存在していて、紹介されている。こちらからご覧下さい。
で、このページにあるそのまんまを、この目で見てきたんじゃが、やはり圧巻は二重ドームじゃね。人の大きさと比べてみて欲しい。
戦時中の建物の殆どは、進駐軍により破壊(爆破)されたらしく、現存しているものは少ないとのこと。肝心の砲台跡も全く見当たらない。また、戦後には銅や鉄のスクラップを求めて多くの人々が入り込み、散々掘り返したこともあり、現存するものは少ないとのこと。
小雨が相変わらず降り続くので、弁当は当時の烹炊所(ほうすいしょ)食堂の建物内で食べる。早めに弁当を食べ終わったので、周囲をブラついていたら、スゴイ物を発見してしまった!
「砲弾」である。
先生の説明によると、これは25ミリ弾と言うものらしく、三連掃射砲(?)のタマらしい。
この日の見学会開催のために、地元の方々が木を切ったり草を刈ったりした時には気が付かなかったものを、私があっさりと見つけてしまった。
取得物ではあるが所有権を放棄し、倉橋公民館の方に預けることにした。何人かの方々で相談されていたが、現在でも爆発する可能性が捨てきれないとの意見が出たので、警察に届けることにしたと言ってた。
その後も散策続け、14時に現地を離れて山道を登って帰途につく。
感想:戦後、多くの施設が破壊されたとは言え、あれだけのものが現存していることが素晴らしい。現地は草木が生い茂っているので、ちょっと時間が経過すれば、また埋もれてしまうとのこと。
今後も保存やアピール活動を続けて欲しいと思う。
また、この施設から想像して、戦時中の様子を回想してみる。この地、呉がどのような場所であったのか。ここで何が行われていたのか。人々はどのように生きていたのか…想いは尽きない。
戦後60年。私の年齢がそろそろ40だが、ってことは生まれた昭和42年ってまだ戦後20年しか経過してなかったんよね。戦後20年しか経過していないのに、空襲や原爆で受けた大きな傷跡とか、復興していない地域なんて直接は見てない訳じゃん。
そう思えば、戦後復興に汗してきた方々の苦労が偲ばれる。いやはや感慨深いのぉ~。
今は大和ブームであるが、一過性ではなくいつまでも、こうした記録を残しておかなければならんよね。広にも戦争の傷跡って沢山あるじゃん。幾つかは既に撮影してるけれど、今後も広での戦争に関する事柄も収集して行きたいな。
昨日の野呂山アタックに続き、今日も沢山歩いたからホトホト疲れたけれど、とても良い生涯学習の1ページじゃった。