広・四日市街道 HIRO・YOKKAICHI KAIDO 広町の多賀谷橋を起点に、石内を通り、郷原、黒瀬、西条に至る広・四日市街道は、通称「旧広・黒瀬街道」という名で親しまれています。広から登ってくる急な坂道は「大根坂」と言われ、「大根坂峠」を境に南側は広町、北側は郷原町となっています。また、この大根坂には江戸時代に敷かれたと伝えられる石畳が一部残っています。「大根坂峠」は、江戸時代に開墾されました。天保年間(1830〜1843)には、街道筋に当たるため交易も盛んで、2月と8月頃に牛馬市も開かれ、大勢の人々でにぎわっていたようです。  この街道について、文政2(1819)年の郷原村国郡志御用書出帖には「広村より四日市(現在東広島市西条町)へ通路、東市飯田村境より西広村境まで36町38間。大根坂峠6町上り易く8町下り嶮(けわし)く」とあり、また広村国郡志御用書上帖にも「四日市へ通る道なり」と記されています。このことからも、閉じの広村と郷原村、黒瀬地区の人々の往来の様子がしのばれます。  またこの「大根坂峠」には、昔は一本松があり、郷原村と広村の境界とされていたとも伝えられてますが、現在の観音堂のたりと考えられています。 呉市