今はもう無くなってしまった... 町田の煙突

古いネタを今ごろ起こして。。。ったくぅ〜。
2001年8月16日に撮影していたものを今さらながらの公開です。

数年前まで、広・町田には野っぱらの中に煙突があったのを記憶されている方も多いと思います。
下の画像は、何だか大自然の中にそびえ立つように見えますが、周囲には結構宅地が広がっています。

この煙突は戦時中のモノらしく、私の父に聞くところによると、戦時中はこの場所に風呂または炊事場があったような事を言ってました。その名残りだったのでしょう。風呂または炊事場らしき建造物は無くなってしまっているものの、何故か煙突だけは取り壊されることも無く残っておりました。足元に見えるトタン屋根にはニワトリが飼われていました。また周囲の木々はイチヂクですね。

下から見上げるとこんな感じ...
煙突周辺は耕作されている。

が、しかしこの煙突は平成14年の初頭に取り壊されてしまいました。恐らく、安芸灘地震があった後に倒壊の危険性を感じてか取り壊されたのではないでしょうか。

たまたまGoogleで検索していたら、中国財務局のページでこの煙突の撤去工事の入札結果が公表されていました。今現在、このページは既に無くなっておりますが、煙突解体撤去工事入札結果は420万円と公表されていました。


で、この煙突の近くに公園があるのですが、ココの公園がなかなかユニークなんです。
私とほぼ同世代の方々はとても懐かしいのではないでしょうか?

下の滑り台に見覚えないですか?

この長〜い滑り台。真ん中くらいでちょっとだけ平坦になっている部分。思い出しませんか。

そう!私が子供の頃、恐らく昭和50年代頃まで、広公園のシンボル的存在だった滑り台です。小高い丘のようになった「山」にらせん状に登る道と、まっすぐに「山」の山頂に向かう階段があり、その頂上に滑り台の階段がありました。滑る部分のほぼ中間地点がちょっとだけ平坦になってますが、ちょうどこの場所でらせんの登り道が下をくぐっていたんですよ。
いや〜。懐かしい。子供の頃良く遊んだものです。

いつの頃に、この地に移設されたのかが全く分からないのですが、いまだにこうやって子供達が遊んでいるのが嬉しいですよね。別の角度から見るとこんな感じです。

しかし、塗装が何とも言い難い変な色に塗られている。しかも、滑る面って、現状は左の画像のような「板状」なんですが、昔は「パイプ状」じゃなかったでしたっけ…

更には、滑り台だけではなくその他の幾つかの遊具も移設されているのです。
このジャングルジムだか、登り棒だかの遊具にも見覚えあるでしょ。滑り台のような部分に両手と両足を掛けて滑ってましたよね。

この他にも、懐かしいブランコが…

右側の2台は普通のブランコではなく、下のように吊り手(?)様になっています。
ここに足を掛けて乗ったりしてましたよねぇ〜。

いや〜。私に近い世代の方々にはとっても懐かしいと思います。
この遊具がある公園は、コスモスの土手に近い場所、塩焼のファミリーマート裏の道を黒瀬川沿いに登って行った所にあります。昔を思い出して、しばし遊んでみられては如何でしょう。

撮影:2001年8月16日
掲載:2004年3月18日