2004年 台風被害の様子

今年は台風が良く飛来する年らしい。どっかでは火山は噴火するし、地震もあるし。このまま行くと本当に日本は沈没してしまうのか?なーんて、小松左京の世界を思い出してみたりする。

特に9月頃になって、スゴイのが来た。

台風16号、チャバ (CHABA)は8月30日に広町に最接近。
台風18号、ソングダー (SONGDA)は9月7日に広町に最接近。

この2回の台風で、日本各地では大きな被害が出たと連日のメディアは報じていたが、広でもご多分に漏れず被害が出た。

先ずは16号の時の様子。

この画像は「未知の鍾乳洞潜入! 果たして謎のチュパカブラの姿はそこにあったのか!! 知られざる白岳山の本当の姿!!」の時にお世話になった「福ちゃん」さんより提供頂きました。

場所は、広商店街の「カワムラサイクル」さんの前で、時間は20時頃撮影されたとのことです。大潮の時刻と台風到来が重なって潮位が異常に上昇してしまったのが原因です。

この16号の通過から10日も経たないうちに18号が飛来。この時は、広でも多くの家屋でも被害があり、屋根瓦が飛んだ、車庫や小屋のトタン(波板)が壊れたなどの話を後日、良く耳にすることとなった。

この2度の台風で大きな被害を受けた(広町の中の)地域は、「小坪」。
9月11日にその模様を撮影すべくマウンテンバイクに乗り、小坪に行ってきました。

まずは、長浜を経由。

長浜峠を下りきった、バス停の前にこの看板が立ちはだかる。

その道路の突き当たりを右に行き、三角浜へと向かう。湾内の船や三角浜は、普段と変った様子は無い。

行き止まりになっている所でいつもとは違う風景に出逢った。

米軍・広弾薬庫の裏側フェンスが破壊されている。また、道路にも多量の砂が上がってきていた。

三角浜から小坪に向かう。

住宅地を抜け、船だまりを右に見ながら、その先へ行くと、スグにこの状況。

ガードマンに話を聞くと「実際に道路が陥没しているのは、ここから300メートルほど先だけど、ここから先には一般人を入れないように言われている」とのこと。

海沿いの県道が通行不能ならば、旧道を行くしかない。行き止まり箇所からちょっと引き返した所に、旧道につながる細い山道がある。そこをマウンテンバイクを担いで登る。

旧道に出た所で振り返って長浜方面を見る。

台風到来の時には長浜小・中学校のグラウンドに海水が沢山押し寄せていたらしい。

こうやって見る限りにおいては、台風の時に大変だったと言うことは想像できないくらいに穏やかである。

旧道を小坪方向に少し走行すると、下の方から重機の音が聞こえてきた。足元をのぞき込むと、県道陥没場所の復旧工事のほんの一部が見えた。

本来、道路脇にあるはずのセメント製の大きな塊は沖に流され無残な姿を曝しており、本来それがあるべき場所には大きな「土のう」状の袋が並べられていた。

また、電柱から何本もの、ま新しい黒いケーブルがこちらに向いて登ってきている。

その何本ものケーブルは、私のすぐ隣にあるミニチュア電柱(高さ:約1メートル)みたいなのに固定されている。

どうやら、送電線と電話の通信ケーブルの仮設配線のようである。

下から上がってきたケーブルは、このミニ電柱を経由して小坪方向に地面を這いながら続いている。

奥に小さく警官が写っている。

仮設ケーブルのアップ。

奥の太いのが電力か。3相なんで3本あるな。

手前の細いケーブルには[NTT 2003 SUMITOMO 1008M]と書いてある。光かな?

えっ?誰もこんなんに興味無いって?
スンマセン、仕事柄ケーブル類には、つい興味が…

先ほど警官が立っていた場所に移動。この警官さんと色々とお話をした。興味深い話を幾つも聞けてGood!!

で、工事の方は太い鉄管を埋設しているようである。沖では流されてしまった以前のモノがむなしく波に打たれていた。

送水管の流出で小坪では台風到来直後より断水になり、また、電柱も被害を受けたので電話も不通になった。電話は10日の午前に、水道は10日の午後に仮復旧したとのこと。工事の方々は突貫工事で復旧にあたって頂いたそうで、本当に感謝の限りですね。

この鉄管、私はてっきり上水道かと思っていたんだけれど、この画像をご覧になられた「どぼくん」さんより「あの鉄管は下水道です」と、ご指摘頂きました。ありがとうございました。(2004/9/15加筆)

 

この場所からは小坪がよく見える。

あれから4日経っているので復旧も進んでいるのであろうか?この場所から遠まきに見る限りでは普段と変らないようにも見える。

しかし、小坪に入ってみると普段とは全然違うことに驚いた。

その様子は次のページにて…