先日、白石のホームセンター「ユーホー」前で、ばったりと「あらさん」に遭遇した。あらさんは、メーリングリスト(ML)や掲示板で登場頂いたいてる、広町.com古くからの常連さんである。
遭遇した時の会話…
あらさん:この前、白岳山登ったらしいじゃないですか。どーして僕を誘ってくれないんですか!嫌われとるんか思うじゃないですか。
こなき:いえいえ嫌いなんてとんでもない。お忙しそうなので声を掛けづらくて…
(内心:そーならそーと、前もって「どっか行く時は声掛けてや」って言っといてくれりゃーえぇのに…)
こ:あらさんのお住いの地区で面白い処とか無いんですか?
あ:あるよ!いっぱいある!!今度、探検に行きましょう。
こ:いぃですねぇ。是非案内して下さい。
あ:じゃあ作戦会議やりましょう。
と、いう経緯で本日の作戦会議開催となった。
約束通りの午後、広駅下の通称:名田トンネルを抜けてあらさん宅を訪ねる。作戦会議そのものは、最初の30分くらい。話は広町.comの話やあらさんのお仕事の話、ここ最近の若者の話や自転車の話などなど…話題に事欠くこと無い、幾らでも話が出来る。
あらさんは仕事柄顔が広い。各方面に知人が多いことを再認識した。また新たな情報ルート開拓だッ!
話が尽きないなか、本日の私の次の用事の時間が迫る。最後に螺山の防空壕跡をちよっとだけ案内して頂けることになった。お宅から歩いてスグの処に戦時中の防空壕跡が残っているとのこと。デジカメを持参しておいて良かった。
螺山の下には巨大な防空壕があり、その中では戦時中の軍需工場があったと知られている。今の産総研中国センター(旧:中国工業技術研究所、瀬戸内海の大型模型で有名)がある場所は、零戦などの戦闘機を作っていた場所であった。その施設の一部は地下壕の中にも工場があったらしい。地下壕の入口は産総研側、広駅側にもあり、恐らくは長浜(峠)側にもあったのではなかろうか。
最初の画像が最も大きな入口。下部は3メートル程の高さまでブロックで塞がれているが上部は開口している。
前面に張り出したブロックの部分に足を掛けて登ってみることに。意外と高いので、あらさんの肩を借りないと登れない。
内部は薄暗く気味の良い場所ではない。60年前のここでの出来事を想像すると尚更である。
手前にはゴミが多く投げ込まれている。一斗缶やチャンネルをガチャガチャと回していた頃のテレビなどが見受けられる。通路様になった内部は岩肌そのままで、セメント類で補強された様子は無く、幅は3メートル高さは5メートルはあろうか。かなり大きい。この画像では分かり辛いが一番奥は突き当たりになっており、右に直角に曲がっているようであり、その突き当りまでは30メートル程である。
この先をずっと行くと、かつての地下要塞に至るのであろうけれど、今となってはとても危険であり、内部を探ることは絶対に出来ない。
合掌。
壕を後にする。後日螺山に登ってみることを約束し、あらさんと別れた。この後、広島市内基町クレドに行くことに。このことはくるぱんのblogに書かれるであろうから、そちらを参照ください。
追伸:「あらさん」を知っている方にお願い、コメント等であらさんの素性をバラさんよう配慮ください。