弱者をアレするには、目印が必要ですよね(引用)

自転車に纏(まつ)わる悲喜こもごも。
長文ですが、面白い意見を見つけたので、引用(転載)させて頂きます(以下”===”囲み部分)。

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小田嶋隆の ア・ピース・オブ・警句 – 弱者をアレするには、目印が必要ですよね

 自民党の谷垣禎一総裁の実務復帰は、ほとんどまったくニュースにならなかった。

 もしかしてこれは、「武士のなさけ」というやつで、ご本人にとって恥に属するなりゆきは、あまり大々的に報じないということなのであろうか。

 いや、メディアの人間にそんな温情が宿っているとは思えない。

 谷垣氏関連の報道量が少ないのは、単に記者が興味を抱いていないからだ。

 というよりも、より端的に申し上げるなら、新聞およびテレビの中の人たちは、谷垣さんには需要が無いと判断したのだ。ニュースバリューが無い、と。自民党の総裁なのに。
 むごい話だ。

 世間は相変わらず「仕分け」に夢中だ。仕込んで仕掛けて仕切って仕組めば仕事が仕上がって仕合わせだ、と、仕手の側の人々は、嬉々として作業を遂行している。やられる側にとって仕打ち、ないしは仕置きである同じ作業を、だ。あるいは、われわれは自民党と官僚たち、いわゆる親方日の丸が、かつてわれわれ弱者に対してなしたことへの、復讐をしているのかもしれない。

 谷垣さんの件については、復帰以前に、彼が休養するに至った事情自体、あまり大きな記事になっていない。
 黙殺。
 存在の耐え難い軽さ。
 野に下るということの意味を、自民党の関係者はあらためてかみしめていることだろう。
 野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉。こんな感じだろうか。

 個人的には、谷垣さんには頑張ってほしいと思っている。
 なぜというに、彼は、自転車族という、どこからどう見てもカネもチカラもない圧力団体の利益代表をつとめてくれている奇特な政治家だからだ。まあ、利権はゼロでもイメージアップにはなるという計算があるのかもしれないが。

 念のために経緯を振り返っておく。
 記事は産経新聞に載ったものが一番詳しかった。以下、引用する。

《自民党の谷垣禎一総裁(64)が15日、サイクリング中に転倒し、顔を数針縫うけがを負った。谷垣氏は政界屈指の自転車愛好者。総裁就任後の選挙応援や地方行脚でも、自転車にまたがり支持を訴えていたが、今回は得意種目で思わぬつまずきを見せた格好だ。
 党本部によると、同日午前9時20分ごろ、東京都昭島市拝島の多摩川遊歩道で、自転車に乗っていた谷垣氏が、対向してきた自転車の男性と接触した。相手の男性にはけがはなかったという。(後略)》

 意外だったのは、事故の現場とされている多摩川沿いの道路が「遊歩道」と表記されていたことだ。

「遊歩道? 多摩川サイクリングロードじゃないのか?」

 私はそう思っていた。あの道は「多摩サイ」である、と。自転車愛好家は誰もがそう呼んでおり、関連ブログでも「多摩サイ」と表記するのが通例となっているからだ。というよりも、正直に申し上げて、私は「多摩サイ」以外の呼び方があることを知らなかった。

 が、調べてみると「多摩サイ」は俗称で、あれは公式には「サイクリングロード」ではない。

 多摩川沿いのあの道路は、いくつかの自治体をまたがっており、その主体ごとに扱いが微妙に違っている。いずれにしても、公式な形で「サイクリングロード」と定義している自治体は無い。

 なんということだろう。
 さらに検索してみると、ここはどうも地雷だったようで、面倒な議論が沸騰している。

「遊歩道なんだから自転車は遠慮しろよ」
「っていうか、一列横隊で自転車と走っているジョガーとかあり得ないわけだが」
「道のセンターを走るランナーは、前のめりで死にたいのだろうか」
「後ろ歩き健康法の人たちってどうしてバックミラーつけてないわけ? バカなの? 死ぬの?」
「5メートルのロングリードで犬連れてるヤツとか信じられない」
「しかも犬同士ワンワン言わせて笑ってるし」
「とにかく自転車が減速するのが前提。夜間全速走行のロード乗りとか、殺人未遂だぞ」

 荒れている。
 嫌煙VS喫煙、原発推進VS反原発ほどではないが、それでも、一見して二度と近づきたくないと思える程度には荒んだ空気を醸している。冗談じゃない。こんな議論にまきこまれてたまるものか。

 自転車乗りと河川敷野球人の対立もなかなか根深い。

「試合中だからと立て札を立てて、道路を封鎖している野球チームがあります。信じられません」
「しかも用具運搬を理由に自動車を乗り入れてるし」
「野球豚はどうしてあんなにわがもの顔なんだ?」
「一方、外野を疾走する自転車が邪魔なのも事実」
「あんなものが走ってたんじゃ、ファールボールも追えない。ってことは、試合にならない。だから封鎖する。当然じゃないか」
「河川敷道路はグラウンドの一部じゃないぞ」
「逆だよ。河川敷の道路はグラウンドや草っ原やバーベキュー場にアプローチするための導入路なのであって、元来自転車が疾走するための移動用の道路ではない」
「第一バイクが乗り入れ禁止になっている時点で、高速走行が歓迎されてないことぐらいは悟るべき」

 調べれば調べるほど問題が出て来る。とてもじゃないが整理しきれない。
 かように、自転車の周辺には交通をめぐる様々な問題が集約されている。

自転車愛好家の内部にすら対立がある。
 たとえば、「ローディー」または「ロード」と呼ばれる、スポーツタイプの高速自転車に乗る人々と、ママチャリで川原を流しているライダーでは、「走る」ということについての考え方が、根本のところで異なっている。

「時速40キロオーバーですっ飛ばして良い気持ちになっているロード乗りのおかげで、多摩サイは自転車乗り入れ禁止になりかねない。暴走はやめてほしい」
「むしろママチャリで並走してたり、手信号も出さずに左右にスラロームしたりするド素人が危険因子なわけだが」
「ノーヘルGパンでペコペコ空気圧のロード乗りとかも勘弁。徐行が好きならママチャリに乗れ」
「っていうか、レーパンのロード乗りって一般人から見れば暴走族と一緒だぞ」
「見た目ショッカーだし」

 結局、ひとつの道に、違う立場の通行者が集うと、道は道として機能できなくなる。困ったことだ。

 ちょっと古い記事で、こんなのが出てきた。
 記事によれば、昨今、多摩サイでは自転車をめぐる事故が急増している。

 いや、「多摩サイ」ではない。記事はこの道を「多摩川左岸に続く約53キロの歩行者・自転車用の道路」と定義しており、あわせて東京都が昨年(2008年)の7月に、公募で「たまリバー50キロ」という愛称を名付けた旨を付記している。

 たまりバー。なるほど。
 「突っ走るところじゃないぞ。たまり場だぞ。広場だぞ」というふうに聞こえるのは、偶然だろうか。自転車に対する悪意ではないのだろうか。これが公募? 本当か? にしても、自転車嫌いの担当者が選んだ名前だよな。

 ともあれ、「サイクリングロード」だと思っているこっちの受け止め方自体が、そもそも勘違いである点は、どうやら動かしようがない。厄介な事態だ。

 私が住んでいる近所にある「荒川サイクリングロード」も、調べてみると、公式にはサイクリングロードではない。役所の言い方では、「荒川河川敷道路」になる。この道は、多摩川沿いの道路に比べると道幅もずっと広くて自転車が走るには好適なのだが、その荒川河川敷道路にも、最近、対自転車用に「20キロ」という速度制限標識が設置されている。なるほど。コウモリは鳥ではない。したがって空を飛ぶのは違反。無論、地面を歩くのも御法度。どうしても移動したいなら空を這うか地面を泳ぐかしろ、と、そういうことだな。了解した。

 多摩川沿いの関連自治体の中では、特に府中市が自転車に対して厳しい姿勢を見せている。
 府中市は、市内を流れる多摩川沿いの道路を「府中多摩川かぜのみち」と呼んでいるのだが、その道に、スピードバンプ(強制的な凹凸)を設けて高速自転車を牽制する工事をしているのである。

 この処置は、自動車愛好家の間では、悪評サクサクだ。
 なにより危険だからだ。

 全速力でこのバンプに乗り上げた場合、自転車は非常なショックを受ける。
 無論、バンプの前後の路面には道に凹凸がある旨を知らせる表示が大々的に表示されている。だから、いきなり全力で乗り上げることは考えにくい。

 が、実際に走った人間の語るところによれば、かなり減速したつもりでも、相当なショックを受ける。

「タマったものじゃありません」

 しかも自転車は、皮肉な乗り物で、高価なマシンほど華奢にできている。というのも、競技用自転車にとって最重要な性能は「軽さ」だからだ。それゆえ、レース仕様の高級ロードバイクは、ちょっとした段差に乗り上げただけでたやすく破損する。「頑丈さ」のような俗っぽい能力よりも、「軽さ」という貴族の資質を尊重している以上、壊れやすさは当然。仕方がない。

 このあたりは熱帯魚の世界に似ている。熱帯魚も、高い魚ほど簡単に死ぬ。
 素人考えでは、高いカネを出して買った魚には丈夫で長生きして貰わないと困る。
 が、そういうことにはならない。売る側の理屈からすると、ちょっとした温度や水質の変化で簡単に死んでしまうからこそ、高価なのだ。繁殖リスクの高いデリケートな魚を安い値段で売っていたのでは、商売にならないからだ。

 そう。30年前、私が血の出るような金で買ったエレファントノーズ(八千円だった)という古代魚は、水槽に放って3日後、朝起きると水面に浮いていた。きっと、安物アマゾン魚との同居がストレスになったのであろう。

 府中市は、この秋、「府中多摩川かぜのみち」のセンターラインを消す工事を挙行した。
 この処置もロード乗りには致命的だった。

 というのも、センターラインは、高速走行のための道しるべとして重要なものだからだ。特に街路灯の無い河川敷の道路では、センターラインの白い反射が、夜間走行における唯一の目印になる。これがないと全速走行は不可能。うっかり路側に乗り上げたら一巻の終わりだ。自転車は全損。乗っている身もまず無事では済まない。
 
 多摩サイを全力で走ることは、もはや不可能になったわけだ。
 遊歩道には、徒歩や車椅子の移動者もいる。子供もお年寄りも歩いている。そういう場所を、時速数十キロの自転車が音もなく(うん。自転車は無音だからね)疾走するのは危険である、と、行政側はそう考えたのだと思う。

 行政から見れば、多数派は足で歩いている人々だ。と、担当者は、どうしても、そうした散歩にやってくる近在のご老人や、夕暮れ時のカップルや、犬連れの人々や、草サッカーや花火やBBQを楽しむ休日の市民のご意見に耳を傾けることになる。極めて自然ななりゆきだ。

 で、自転車は、コウモリ扱いになる。

 道路交通法の上では「軽車両」という分類になっているものの、地元の警察は、自転車が車道を走ることを好まない。自動車のドライバーにとって邪魔だからだ。

 で、最近は、歩道に乗り上げる段差にスロープを付けるなどして、自転車の走行を可能とした歩道を増やしている。自転車は歩道を走るように。ただしもちろんこの場合、全力走行は不可。「いつでも止まれる速度」で走るように。

 って、どういう速度だ?
 早足? 
 あるいは「ウォーク・ドンド・ラン」ぐらいか?

 たとえば、私の家から、さいたまスタジアムに行く場合には、国道122号線を走ることになるのだが、このレベルの国道を走るということになると、自転車は本当にどうしようもない。居場所が無いのだ。

 トラックの多いこの道の車道を走るには、ちょっとした根性がいる。具体的に言うと、時速30キロ程度の速度を維持できないと、クルマから見て「邪魔くさい」存在になるということだ。

 それゆえ、私のような20キロ前後が精一杯の半端ライダーは、トラックの幅寄せ(うん。悪気があるわけじゃないんだ。単に車線に比して車体がデカいというだけだよね)に冷や汗をかきながら、びくびく走らねばならない。

 もっとも、122号の大部分は、歩道上を自転車が走っても良いことになっている。
 おそらく自治体は、自転車には歩道を走ってほしいと思っている。走ってみればわかる。彼らは、われわれを歩道に追い込もうとしている

 が、それでは、ということで歩道を走ってみると、歩道はやっぱり走るための道ではない。場所によっては、道路沿いの店舗が私設のポールを立てていたりする。ゴミ用のポリバケツが転がっていることもあるし、コンクリート製の花壇が設置されていたりもする。と、その度に、突っ走って来た当方は肝をツブす仕儀になる。

「おい、うっかりぶつかったら転倒必至だぞ」

 お達者カーを押しながら歩くご老人がいる。立ち止まるアベックがいる。高校生が三人ぐらい横並びで歩いている場面に遭遇する場合もある。いずれの場合も、15キロ以上で走っている自転車は突っ込みかねない。さらに、夜は、真っ暗で路面が見えない。とすれば、20キロ以上スピードで走ることは自殺行為だ。

 つまり、自転車は、ヘルメット手袋フル装備で、30キロ以上の高速を維持しつつ車道を走るか、でなければ15キロ以下のママチャリ移動速度で歩道をたらたら走るか、いずれかを選ばねばならないわけで、どっちにしても、私にはキツいわけだ。

 橋にかかると車線の幅が俄然狭くなる。車道を走る自転車にとって、これは、非常に怖い。
 で、いきおい歩道に乗り上げるわけだが、橋上の歩道には標識が立っている。

「自転車は降りて通行」

 と。
 ごていねいにも、「降りて通行」の部分は赤字で強調されている。

 言いたいことはわかる。橋の上は、歩道の幅も狭くなる。すれ違うのがやっとだ。だから自転車が走るのは危ない。そういうことなのだと思う。
 でも、「ゆっくり走ってくれ」「注意して走ろうね」というのならともかく、「降りろ」というのは、あんまりだと思う。自転車は乗っている限りは乗り物だが、降りて押すと荷物になる。あたりまえだが。

 もしかして、お上は、われわれが自転車をずっと押して歩くことを望んでいるのだろうか。たしかに、押して歩いている限り事故は起きない。健康にも良いかもしれない。でも、人を乗せていない自転車は自転車ではない。刃のない包丁が包丁でないように。
 
 自転車は、交通警察の日常用語の中では「交通弱者」ということになっている。

 ここで言う「弱者」は、権力や立場の強弱を表現したものではない。「法的な保護が必要な存在」あるいは「特段の配慮を要する道路交通者」ぐらいだろうか。実態としての意味は、「より事故に遭いやすい」「事故が起こった場合により大きな被害を受ける」存在のことだ。つまり、そもそも事故を想定した言葉なのだ。

 もっとも、この定義はあくまでも相対的なもので、車道では「弱者」に分類されている自転車も、歩道では「強者」になる。

 で、警察は、「交通弱者を保護する」という建前で、標識を設置したり、制限速度を設定したり、優先路線を設けたりしている。彼らとしては、「事故」を防止しようとしているわけだ。

 が、弱者保護という名のもとに、弱者と強者を隔離する施策が展開される場合、常に弱者が救済されるわけではない。むしろ多くの場合、弱者は単に「排除」されることになる。

「危険なのではいらないでください」

 という掲示は、保護ではない。排除だ。

 この掲示標識の実質的な意味は、「われわれはこうしてあらかじめ警告している。であるから、この場所に侵入して怪我をした場合、責任は負傷者本人に属するのであって、無論のこと当方の側には無い」てなことになる。「怪我してもしらねえぞ」という宣言に近いかもしれない。施設運営者や道路設置者は、そうやって、標識を掲示することによって、「弱者」が被るであろう被害についてあらかじめ責任回避をしているのだ……という見方は、あまりにも底意地が悪いだろうか。うむ。

 が、標識というのは元来、そうしたものなのだ。
 親切なようでいて、その実、施設利用者に制約を課すことが真の狙いだったりする。

 「芝生にはいらないように」:何のための芝生なんだ? 観賞用か?
 「ローラースケート、ボール遊び、犬の散歩、楽器の演奏、合唱などの行為はご遠慮ください」:何のための公園だ?
 「歩道では立ち止まらないでください」:どういう意味?

 自転車のような中途半端な弱者は、強者の権力を持っているわけではない。
 といって、弱者利権にあずかることもできない。

 だから、弱者として排除されるかと思えば、強者として行動制限を受けていたりもするわけで、これでは自転車乗りはやっていけない、と、自転車関連のブログには、いつもこのテの愚痴が渦巻いている。

 谷垣さんの事故が大きく報道されなかった裏には、あるいは彼が走っていたといわれる拝島の多摩サイが、いかにも中途半端な場所で、扱いが面倒だったからとい事情があずかっているのかもしれない。
 実際、反響は単純ではない。

「あのあたりは休日にロードバイクが走って良い場所ではないぞ」

 という声がある一方で、

「それ以前に、自転車同士でぶつかってる以上、なんの言い訳もできない」

 という指摘もある。

「そもそも遊歩道とサイクリングロードを別々に整備していないのは行政の怠慢だ」

 という意見もある。
 いずれにしても、この事故は、谷垣さんにとっても、自転車愛好家にとっても、関連自治体にとっても、SPの皆さんにとっても、それぞれに都合のよろしくない、いかにも扱いにくい物件だった。その割に、記事としての面白味もない。とすれば、誰がわざわざ記事なんか書く? 地味な総裁のショボい事故なんかの。

○   ○   ○

 ちょっと似たニュアンスの記事を見つけた。
 警察庁が、「もみじマーク」の後継となる新デザインを公募することにしたというお話だ。

  高齢ドライバーと自転車乗りには、共通した匂いがある。
 いずれも、交通行政における鬼っ子みたいな存在だからだ。
 路上の異邦人。
 本人たちがどう思っているのであれ、行政側は、これらの交通弱者を「面倒な例外」であるというふうに考えている。できれば路上に出てほしくないと思ってもいる。たぶん。で、結果として、弱者は継子扱いを受ける。

 詳しい記事はこちら
 現在の「もみじマーク」は、高齢者にあまり評判が良くない。
 だから、「高齢者が誇りを持って自らの意思で表示したくなるデザイン」を考案しようということのようだ。

 デザインの問題なのだろうか。
 
 スタイリッシュなマーク(←思いつかないが)が考案されたら、高齢のドライバーもすすんで表示する、と、そういう展開になるようには、私には到底思えない。
 
 ギンギンだったりアゲアゲだったりイケイケだったりするデザインは、標識を掲示している主体が高齢者であることを表現していないし、また、速そうだったり俊敏だったりするデザインは、そもそも保護義務の主旨を裏切ることになる。
 
 ということはつまり、もみじマークは、どこかしら年寄りくさくてノロマっぽい尻尾をひきずっていないと正しく機能しないわけで、とすれば、これらの属性と「誇りを持って掲示できるような」デザインは、両立しない。当然だ。

 ところで、「もみじマーク」は、公式な名称ではない。
 正式には「高齢者運転標識」と言う。それが、初心者マークの愛称である「わかばマーク」との対比から「もみじマーク」と俗称されているのだそうだ。ウィキペディアによれば、「シルバーマーク」「高齢者マーク」という言い方もあるらしい。私は聞いたことがないが。
 
 道路交通法では、75歳以上の高齢運転者は、高齢者運転標識を表示する義務を負っている。これは、義務規定なので、表示を怠ると違反になる。罰則も設定してある。
 
 一方、その高齢者標識を視認した一般のドライバ-には、「保護義務」が課される。具体的には、「表示車に対してやむを得ない場合を除き、幅寄せや割り込みをしてはならない」と定められている。

 が、もみじマークは迫害を受ける。そういう場合の方が多い。
 保護しようと考えるドライバーもいる。いたわってあげないといけないと判断する運転者もいると思う。
 でも、高齢運転者に対して具体的な行動に出る者の多くは、彼らを迫害せんとするドライバーたちだ。

「おっと爺さんだ。こんなノロマの後ろに付くのはごめんだよ」
「もみじさんって、いつ急ブレーキを踏むかわからないし、悪いけど抜かせてもらいますよ~」
「老骨が高速なんか乗るなよ」
「どうして枯葉マークが追い越し車線走るわけ? しかも100キロジャストで。いやがらせか?」

 てなわけで、高齢運転者は標識をつけたがらない。
 道をあけてくれたり、車線を譲られる機会より、強引な割り込みや、無理な追い越しをかけられることの方が多いからだ。

 要するに「交通弱者をいたわりましょう」とする行政側のおためごかしは、「ノロマはすっこんでろ」と考えている一部の悪質ドライバーによっていとも簡単に無効化されてしまうのだ。

 弱者が保護されるべきだというのは、考え方としては素晴らしい。
 が、路上は、弱肉強食の原則で動いている。

 弱みを見せたら、弱みにつけ込まれる。そういう場所で、自分が弱者である旨を表示することは、一種の自殺行為だ。
 私自身、軽自動車に乗っていた時代があるだけに、このことは身にしみている。交通弱者は、迫害される。これは路上のルール。ストリートの鉄則だ。
 
 最近の軽自動車は、見た目も素敵になったし、走りの上でも、普通車と遜色のない運動性能を備えているらしい。が、私が乗っていた頃は違った。なにより、世間の偏見がいまよりもずっとキツかった。

 だから、私がどんなに頑張ってアクセルを踏み込んでも(当時、私は、平均的なドライバーより「速」かった。というのも、クルマの実質的な速さは、車両が備えている潜在性能にではなくて、運転者の決意=すなわちアクセル踏み込み量に比例するものだからだ)、周囲のドライバーは私の前に入ろうとした。
 で、私は割り込まれ、幅寄せられ、ブッコ抜かれ、蹴散らされていた。で、そうやって展開されていた車格バトルが、路上のドライバーにより上位のクルマへの野心を植え付ける。いやな話だが、これは事実だ。

 高齢者標識について言えば、ドライバーを年齢で区分する見方も、あまりに図式的過ぎる。
 同じ高齢者でも、職業的な運転者もいれば、サンデードライバーもいる。高級車に乗っている紳士もいれば、スポーツカーを駆る鯔背な爺さんもいる。
 とてもじゃないが、年齢で切り分けることなんかできない。

 クルマには、人格の延長みたいなところがある。
 普通のマシンと違って、クルマは、運転者の「意思」と「運動能力」をダイレクトに表現している。
 のみならず、クルマは、ドライバーの「資産」と「美意識」と「趣味」をも代表している。とすれば、こんなにもモロに人格そのものであるマシンに、わざわざ屋上屋の標識を貼り付ける意味は無い。

 だって、しばらく並走(あるいは追走)していれば、隣の(あるいは前の)クルマの運転手がどんな人間であるのかなんてことは、年齢学歴資産知能指数から挙動性格消費性向まで、ほとんどすべて丸わかりだからだ。

 中には、好きなサッカーチームのステッカーを貼っていたり、「ご意見無用」なんていうセリフを掲示している運転者もいる。リアウィンドウの手前に七人の小人をズラリと並べている女性ドライバーもいる。つまりアレだ。クルマに乗るということは、一種の自己表現なのだ。少なくとも、昭和世代の資本主義の申し子であるオレらにとっては。

 だから、お年寄りが周囲のドライバーに道をあけてほしいのなら、もみじマークなんかではなく、たとえば「日の丸」のステッカーを貼れば良い。
 少なくとも私は、その種のステッカーを貼っているクルマに対して無茶な追い越しをかけない。
 必要以上に近い車間で相手を煽ったりすることもしない。
 敬して遠ざける。
 どうだ? 

 

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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ソース:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091127/210778/

長いな。
でも、自転車乗りの立場から「言いたいこと」逝ってくれている。ワシも文才あればこのように表現してみたいが、不可能なので転載させて頂いた。物事の判断は、その人の主観によって大きく左右される。ワシも自転車乗りの端くれなので、小田嶋氏の意見には大いに頷ける部分が多い。あなたは、どう思う?

あ、日経の記事を転記して問題ないのか?って??
それなんですが、小田嶋氏本人が転載を容認してます。

以下、これも引用

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著作権は、海賊版を売って儲けようとする業者を取り締まるために発明された概念であって、著作物を買ってくださったお客様の利用を制限するためのものではない。
(中略)
ちなみに、私のテキストは、どこに書いたものであれ、全面的にコピーフリー。リンクフリーだ。無料ならば、金儲けに使わないならば、どんどん配布していただいて結構。

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ソース:「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密

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8件のコメント

  1. 長っ!けど、おもしろかったので、携帯からだけど汗、いっきに読ませてもらいました。特に『多摩サイ』の描写?三年B組金八先生、のタイトルシーンを思い出しながら笑。
    谷垣総裁の事故?は、そんな背景があったんですね、実に興味深いです。自転車的にも、政治背景的にも…
    自転車乗ってて、自分の身を守る事はもちろんですが、歩行者の保護、って、心がけなきゃいけないですね。たまに、の通勤途中の休山トンネル、ついつい飛ばしてしまいます…気をつけないと…

  2. 河川敷を利用するルールもそうですが、根本的に自転車の交通ルールの定義って未だ中途半端ですよね。
    ヘルメットやグローブの着用、自転車通行可の歩道を走るか、車道を走るかの判断は個人に委ねられてますし。
    違反したところで関係ないって意識を持つチャリ族がゴロゴロいますよね。
    (そもそも違反という意識すらない人間も中には…)

    こういった問題が大きく取り上げられるようになってくると、まともな自転車乗りまで片身の狭い思いをしていく様になるのでしょう。
    (自転車走行レーンの整備など、良い方向に進むのにはちょっと期待しますが)

    「見た目ショッカーだし」に思わず笑ろうてしまいますた。

  3. 「多摩サイ」が俗称とは知りませんでした。
    自転車道でなければこういう争いになるのは致し方ないことです。
    そもそも自転車道を全開で走れる所なんぞあるんでしょうかね???だいたいが30km前後がいいところだと思います(大阪・奈良・京都では)。いろんな目的で遊びに来ている人々がおられるので、その辺りはお互いがお互いを理解して楽しまないといけないと思います。

    それよりも。。。

    谷垣さん正面衝突したんでしたっけ?????

    その方が問題だったのでは???

  4. 本文補足:
    この記事の話を何度も読み返していると、仏教の話を思い出しました。
    ご存知の方も多いと思いますが、地獄と天国の長い箸での食事の話です。
    地獄も天国も、どちらもテーブルの上には沢山の豪華な食事が並んでおり、その脇にずらっと人々が並んで座って、今から食事が始まろうとしています。
    ただ、この世との違いは箸がとても長いのです。さあ、いよいよ食事が始まりました。
    地獄では、自分の腕よりも長い箸なので、食事をちゃんと口に運ぶことが出来ません。また、隣の人に当たるので喧嘩が始まり食事どころではなくなりました。

    一方、天国での長い箸を使っての食事風景と言えば、自分では食べることが出来ないので、向かいの席に座っている人に食べさせてあげています。さぁ、どうぞお食べなさい。どうもありがとう。では、次はあなたがどうぞ。何ももめることなく食事が終わりました。
    そう。多摩サイのローディ問題も、結局のところ、この話と同じだと思うのよね。

    ☆ けんけん さん

    谷垣さんには頑張って欲しいね。目立ってないけれど(汗
    しかし、自転車乗る限りには事故にはホントに気をつけないといけません
    。加害者になるのも被害者になるのも勘弁です。

    ☆ JUN さん

    路上の自転車が「車両」であるとの認識が、ドライバーも、歩行者も、ローディー自らも薄い人が多いのが元凶やと思うんですわ。
    そこらの社会的理解が進むには10年とかの長い長い時間と、幾つかの犠牲が必要なんだろうと思います。
    我々ショッカーの皆さんも、常々、気を緩めないようにしなくては。

    でもでも、ここら界隈は島しょ部や山間部など、私らにとっては走りやすい場所が多くて幸せだと思います。

    ☆ ぱぱにい さい

    谷垣さんの事故、自転車雑誌では詳しく報じて欲しいよね。
    近畿辺りでは、走りやすい道は多いですか?島根には到底叶わないですがね。

  5. 昨日河原の土手道で前からやってきた畑仕事帰りと思しき爺さん、工事用ヘルメットを被ってカゴの前に”もみじマーク”くっつけたママチャリで走っていきました。
    なんかいい感じに見えましたよ。

    なんかネ、もうジジイです。おっさんと呼ばれるのに抵抗が少なくなったら既にジジイ。ジジイ結構爺さん結構、ジジイのショッカー戦闘員で走り回ろうでな。
    背中にもみじマークのジャージでも作ってみるか。もみじマークに坂で追い越されたらめっちゃヘコむだろうな(爆)

  6. 結局のところサイクリングロードでの規制を強めると同時に車道で自転車が走りやすいようにしてくれれば一番なんですけどね。

    それと車道の自転車が邪魔だって言う人は自分が歩行者になった時に歩道に追いやった自転車が歩いてる自分にぶつかってくるかもしれないって考えないんですかね・・・?

    高齢ドライバーの問題も同じで自分だって年寄りになった時に迫害されるかもしれないから今のうちに車の運転をしないでもいい環境づくりをしようとか考えないんでしょうか?
    別に大きいことをやらなくても歩いていける範囲の小さい店で買い物をして街を活性化するとかでも効果はあるんですけどね。
    そうすれば「車を運転しないと買い物もできない」なんて事にならないで済むと思うんですけど。

  7. ☆ ひらまつ さん

    もみじマークのサイクルジャージか!思いつかんかった。ソレえぇなぁ~。
    もみじで、登坂をめっちゃダンシンしてたら驚くやろなー。

    ☆ 職人気取り さん

    たまに歩道を走っているローディとか見ると「???」ですわ。
    逆走してるヤツにはブチキレます。

    Co2を-25%するんでしょ。今からはクルマじゃなく自転車でしょ。
    って思ってるんですけれどね。なのにニュースの中心話題は自動車の販売台数が経済指標になっている。

    オカシイ、絶対オカシイ!!

    そのことに早く気が付いた人から幸せになれるのにねぇ~。

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