出現回数が減りつつあるACのTV-CM。
思いは見えないけれど、思いやりは見える
すべての人が持っているやさしい気持ちが、たくさんのあたたかい行為となって世の中に生まれてほしいと願いました。
とACさんは述べている。
が、このCMを見て真反対のことを思い出していた。
ソース(出処)は忘れたのだが、バスを使ったとある実験の話。
シーン:
・ふたり掛けのバスの座席が2列ある
・それぞれの座席にはひとりずつ座っている
実験:
・ひとつ目の座席に座っている人は「俺の隣に座るんじゃねぇ!」と心の中で念じる。
もちろん、表情や仕草には全く出さない。
・もうひとつの座席に座っている人は「私の隣は空いているから、座っていいよ」と心の
中で想う。
もちろん、表情や仕草には全く出さない。
・乗客がバスに乗ってきて、どちらの空いている座席に座る確率が高いかを複数の被験
者で繰り返し行ってみた
結果:
・かなりの確率で、「座っていいよ」と想っている人の隣に座った
って実験があったそうだ(ソースを探したが見当たらず…)。
確かに思いは見えない。この実験のケースだと、以心伝心って言葉が適しているとは思えないが、こちらが思っていることは、何となく相手にも伝わるってことらしい。
なに?第六感??
翻ってワシだが…
好き嫌いが比較的オモテに出易いタイプの人間なので、気をつけなきゃいかんと常々思う。うん。
嫌ってる相手も、多分ワシのことを何となくでも嫌ってんだどうと思うよ。
ただ、
数年前は、バスの座席でワシの横には誰も座ってくれんかったが、最近は座ってくれるうようになった。
何かを念じていたのを辞めたんじゃなく、体重が80キロ代から60キロ代に落ちて、空いてる隣の座席が広く見えるようになったんが原因じゃと思うんだが。
繁華街を歩くとき、「俺に話しかけるんじゃねぇ!」的なオーラを振りまきながら歩いていましたが、勧誘などされると まだまだ気が足らないなぁと思ったりしていました。
人の好意はなかなか感じられませんが 自分を嫌っているというような感じはよく伝わる気がします。
一度だけですが、「今、心の中を覗かれた!」と感じたことがありました。
震災の起こった時、3万人も一度に亡くなったかもしれないのに 何も伝わってこなかったことが、当然なんだけど以外に感じます。
人の痛みが本当に伝わるものなら、世の中ずっといい世界になっているでしょう。
White Noise さん
街頭でティッシュ配ってる人や、何がしかの勧誘を行う人など、それ自体が自らの収入に直結してる人は一生懸命でしょうからオーラの有無は無視られてんだろうと思います。でも確かに、好いてるオーラよりも嫌われてるオーラを感じやすいってのは思いますね。
今の時代、思いを感じたとしてもそれをオモテに出さないのが「オトナ」なんて言われる時代なのかも知れません。この度の震災が何かを替えるきっかけになればと思っています。