GoGo! ダウンヒル -野呂山の山道をマウンテンバイクで走破ぢゃ-

2003年11月に、石内から登山道を徒歩で野呂山に登ったことがある。 

その時の様子はコチラ→ http://www.hiromachi.com/sketch/idx13/
      
この道をいつかマウンテンバイクでダウンヒルアタックしてみたかった。
マウンテンバイクと銘打ったモノを持っていても、山を走ったことが無かったので、いつかトライしてみたかったんよ。

事前に、オカムラさんのお店に行って相談してたんじゃが、オカムラパパ曰く「自分も行った事あるけれど、あんまり面白くは無いですよ…」とのお返事。ん~。でも、自分のこの足で走ってみたい。

暖かくなってきた今日、アタックしてきた。

8:35 自宅を出発。かつおさんに携帯メールで本日アタックを告げる。 

9:05 川尻、野呂山登山口に到着。ここから登り道になる。

9:22 野呂山スカイライン 料金所跡通過。暑くなってきたので上着を脱ぐ。ついでに自画撮り。
     
     

11:03 野呂山山頂、十文字ロータリー到着。
2005年8月にロードサイクルで登ったことがあるんじゃけれど、その時は、登山口からロータリーまで1時間19分で登ったが、今回は1時間41分。やはり舗装道はロードのもんじゃ。

11:15 いよいよ山道に向かうが、いきなり道に迷う。間違って、昔の遊園地の所に行ってしまう。

11:33 未舗装道に入る。いきなりの倒木。流石にコレは乗り越えられないので、バイクを担いで木を乗り越える。 
   

次は石による歓迎。こりゃ乗って行けれん。ここも担ごう。

   

暫らく山道を行くが、倒木が多い。冬が終ってスグなので、まだ山歩きをする人が居ないからなのか。

勧農坂に至る自然歩道は、丸太階段のヨコを走破じゃ。

もうすぐで勧農坂と言うところで、別世界に出た。山が大きく深く削られている。林道工事じゃ。

   

橋も出来るようで、橋脚が出来ている。

   

程なく勧農坂に出た。2年前の景色はこちら。
  

今日の景色は…手前の石積みは残っているものの、上部の林が無くなっている。やれやれ、ちとやり過ぎじゃないかのぉ~。山歩きのおじさんに出逢い、この工事についてちょっと教えてもらった。

   
12:02 勧農坂通過。いよいよ本格的なダウンヒルじゃ!ここからの山道に期待が掛かる。が、いきなりの山道崩落。
 
    道が無い。山水に削られて流されており、右下は崖になっている。ここも担いで歩く。

   

ようやく、マウンテンで行ける道になってきた。イェ~イ、走るで走るでェ~、DHフォ~!!!

   

少し下って、分かれ道に来た。2年前は手作り看板だったけれど…

キレイな案内板が出来ていた。でも、手作り看板もそのまま残っていたよ。(右上に見切れている)

   

この看板以降、グングンとマウンテンで走破できる、できる!フォ~!!石畳の所では膝がガクガク。スキーのモーグルみたいな感じ。

12:25 舗装道に出る。ココからは一気に下る。ビュ~ン。あっけなく国道まで出て来た。

   

12:30 風の谷の住人宅に寄り道してみる。くまべぇでも居たらナデナデしてこようと思ったが、姿は見えず。玄関扉が開けっ放しになてたから、住人さんは在宅の様子だったけれど、突然の来訪だから声掛けずに去る。

商店街のオカムラサイクルさんに寄り、結果報告。

12:49 自宅到着。所要時間4時間14分でした。やれ、膝が痛いわい。

感想:野呂山をマウンテンで登ったのは、今回が初めてじゃったんじゃが、やはり時間が掛かるの。やはり舗装道はロードバイクに限る。また、山頂で迷っちゃって結構時間ロスしてもーた。石内へ行く方面の山道が分かりにくかったんよ。
山道(未舗装道)はチャリで走破できる部分があんまり無く、本来の楽しみもほんの僅か。じゃけれど、やっぱ山の中を走るってのは気持ちエェもんじゃね。事後報告の際にオカムラさんが「ここら辺の山で、マウンテンで走れる山があったらまた紹介しますよ」って言ってくれたので、期待しとこう。

最後になっちゃったけれど、単独行動なんで心配して何度もメールくれた、かつおさんとオカムラパパさん、ありがとうございました。ご心配掛けましたが、無事帰還しました。途中でメールしたかったけれど、圏外なっちゃってEメールもCメールも送れんかったんよ…

 

PCサポートと取材

先日のバレンタイン、頂いたチョコは2個。
1個は実家の母。なぜ今さら…いつまでたっても子は子なんかのぉ~。
もう1個はお友達の可愛い姉妹(小6&小2)。近所で交流が深いのよ。

その姉妹のお宅がPCを新規購入&フレッツADSLを導入したと昨晩聞いた。

PCサポート要請 wオwセ━━━━(wン∀wン)━━━━!!

ネット接続が出来ないとのこと、本日お宅にお邪魔してのサポート開始じゃ。

買ったのはNEC LaVie L LL790/ED

コンボドライブ、無線LAN内蔵、XP Home、MEM=512。文句なしスペック。
最近のノートは液晶がキレイになったのぉ。ちょっと前の液晶は「赤」が赤じゃなく「朱色」っぽかったので好きになれんかったが、液晶性能も良くなったもんじゃ。

で、ADSLは(ワシの大嫌いな)NTTのフレッツ。
以前、音戸のお宅でSo-netのサポやった時フレッツ経験済みだから、今回はお手のもの。
お邪魔した際には、既にADSL結線は終了していた。ココの奥さん、結構こーゆーのは強い。

で、例によって、ADSLモデム(モデムって言いよるが、実際はルータ)にIEで接続して、モデム自体にユーザー名・パスワードを設定せにゃいけん。
この作業が必要なことが、同梱の資料だけじゃなかなか分かり辛いんよね。
多分、NTTのことだから必要最低限の資料にしといて、接続サポ料を取ろうって魂胆じゃなかろうか。いや、万一そんな意図が無いとしてもあの資料じゃあ、IEで接続して設定せにゃいけんってことが、非常に分かり辛い。やっぱりコノ会社は好きになれん。

モデムの設定を完了するとサクッと接続OK。Windows Updateを完了し、BIGLOBE付属の無料アンチウィルスを導入してサポ完了。

折角の無線内蔵PCなので、レンタルしてる有線ADSLモデムから、無線ルータへの変更をオススメして本日のお役目完了っす。

いや~。やっぱりPC関連で困ってる人を助けるのは楽しい。
敢えて泥沼にハマりたいワシって変人なのか…。

午後はブルさんと、たかちゃんと3人でドリカムデート。
内容は、ふっふっふっ。

まだ書けないなぁ。また後日。
って、思うたらたかちゃんが既にupしとる。コチラをご覧あれ。
http://plaza.rakuten.co.jp/tanpopostar/diary/200602160000/

「男たちの大和/YAMATO」鑑賞 &大和ミュージアム初訪

今日は会社休んじゃいました。何でも有給休暇消化率50%目指せって部長3が言うもんだから…
で、行ったんよ!映画男たちの大和/YAMATO
男たちの大和 呉セット

感想言うと一番に思うとこは、今の日本と言うかこの地があるのは、あの苦しい時代を乗り越えて来た人たちのお陰であると言うことを、私たちは忘れちゃいけん!と、言うことじゃないかな。
その人達。今現在「老人」と定義されている人達。戦中・戦後と時代を支え生き抜いた人達を、今の時代の人は大切にせんにゃいけんのよ。ジジィだのババァだの言っちゃいけん。その人達の苦労と努力で今の平和な日本がある訳じゃん。感謝、感謝だよ。
また、いま生きてる人たちは、そのことを後世に伝えて行かんにゃいけん。そんな事、今までも何度も聞いてきたけれど、改めて再認識したよ。

それと、サブタイトルみたいになってる「もう会えない君を、守る。」愛する人のへの想いの大切さかな。絵本で100万回生きた猫って有名な絵本があるけれど、次元が違うにせよ訴えてることは同じじゃと思うんよ。あの絵本も最初に読んだ時は涙が浮かんだが、今回の映画も涙したね。

映画館、やはり年齢層が高かった。50代後半以降の人が多かったんよ。

大和の不運とかは、あの戦争は何だったのかって本をこの前読んだから、ほんの少しは認識してた。戦時下という時代背景、絶対的な軍組織圧力、そして愛する人との別れ。

歴史再認識じゃ。

その後、大和ミュージアムに直行。

戦艦大和

実は今まで行った事無かったんじゃわ。人が多そうじゃったけぇ、ちょっと落ち着いてから…って思っちょったんじゃけど、映画見たんで、引き続き行ってみようと思い立った。
1/10スケールの大和も確かに凄いが、それよりもスケールは小さくても当時の「現物」が残っている物の方が心を動かされた。ゼロ戦、魚雷、計器類などなど。鋳物ならではの鉄表面の凹凸感が時代を語っているかのようである。1/10スケール大和は、やっぱり「綺麗過ぎる」んじゃないかな。

それと広について。広工廠の軍需工場で製造された戦闘機などなど。当時の広は高い技術の粋を集めた場所じゃったんじゃね。広町.comを始めて以降、広の歴史についても興味があったんじゃけど、色々と調べて行くと「今の広町は、戦争(工廠)あっての広なんだな」と実感する。白石や虹村にある会社って、当時の技術の流れを汲む会社さんばかりじゃね。そこら辺のこと、広の人はもっと誇っていいんじゃないかな。素晴らしいよ。

しかし思うのは、何故今になって大和なのか、何故今の時期になって戦争についてこうも取り上げられているのか、こうもあちらこちらで語られるようになっているのか。ってこと。

先日、TVでTBSが原爆を開発した研究者を広島に招いて被爆者と対談させる番組やってのを見た(筑紫さんの出てたヤツ)。米の研究者は「remember pearl harbor」であり「Dirty Jap」なんだと思い知ったと共に、戦闘機の設計思想における日米の考え方の違いに唖然とした。

どうして、戦後50年のときではなく、今の60年になってから、こうも語られるようになったん?
だれか、納得できるように教えてや。

広町.com新年会 2006

本日、広町.com新年会 2006 が、こなき家にて開催されました。
大村さんの帰呉に合わせて急きょ開催が決まったオフ会にも関らず、多くの方々に集まっていただくことが出来、本当に幸せであります。

参加者一覧(順不同)

ちゃかりんさん、たかちゃん、和くん、
ばばこにさん、ばばこにさんのお友達のO(オー)さん、
大村さん、あらさん、あらさん紹介の青年×2名さん、
かつおさん&お子さん2名、赤青黄色さん。
くるぱん、こなき、こなき家の子供2名。

新年早々の忙しい時期に無理言ったにも関らず、ご参集頂きありがとうございました。皆さんとの楽しいひと時を共有することが出来、また、参加者同士の新たな知人の輪も広がったことと思います。

とても楽しい新年会でした。ありがとうございました。

次回は「広町.com お花見オフin広公園2006」の予定です。広公園の桜が満開を迎える時期に開催予定ですので、今回参加したくても参加出来なかった方の参加をお待ちしております。オフ会を通じて、広人の友人の輪を広げて行ってみられては如何でしょう。

何はともあれ、お集まり頂きました皆さま、ありがとうございました。

追伸:本日撮影しました、集合写真を掲載しました。参加メンバー限定にさせて頂きます。参照方法は別途、個人宛メールにてお知らせします。メールが届かないよ!って人はこなきにメール下さい。