今日は会社休んじゃいました。何でも有給休暇消化率50%目指せって部長3が言うもんだから…
で、行ったんよ!映画男たちの大和/YAMATO。
感想言うと一番に思うとこは、今の日本と言うかこの地があるのは、あの苦しい時代を乗り越えて来た人たちのお陰であると言うことを、私たちは忘れちゃいけん!と、言うことじゃないかな。
その人達。今現在「老人」と定義されている人達。戦中・戦後と時代を支え生き抜いた人達を、今の時代の人は大切にせんにゃいけんのよ。ジジィだのババァだの言っちゃいけん。その人達の苦労と努力で今の平和な日本がある訳じゃん。感謝、感謝だよ。
また、いま生きてる人たちは、そのことを後世に伝えて行かんにゃいけん。そんな事、今までも何度も聞いてきたけれど、改めて再認識したよ。
それと、サブタイトルみたいになってる「もう会えない君を、守る。」愛する人のへの想いの大切さかな。絵本で100万回生きた猫って有名な絵本があるけれど、次元が違うにせよ訴えてることは同じじゃと思うんよ。あの絵本も最初に読んだ時は涙が浮かんだが、今回の映画も涙したね。
映画館、やはり年齢層が高かった。50代後半以降の人が多かったんよ。
大和の不運とかは、あの戦争は何だったのかって本をこの前読んだから、ほんの少しは認識してた。戦時下という時代背景、絶対的な軍組織圧力、そして愛する人との別れ。
歴史再認識じゃ。
その後、大和ミュージアムに直行。

実は今まで行った事無かったんじゃわ。人が多そうじゃったけぇ、ちょっと落ち着いてから…って思っちょったんじゃけど、映画見たんで、引き続き行ってみようと思い立った。
1/10スケールの大和も確かに凄いが、それよりもスケールは小さくても当時の「現物」が残っている物の方が心を動かされた。ゼロ戦、魚雷、計器類などなど。鋳物ならではの鉄表面の凹凸感が時代を語っているかのようである。1/10スケール大和は、やっぱり「綺麗過ぎる」んじゃないかな。
それと広について。広工廠の軍需工場で製造された戦闘機などなど。当時の広は高い技術の粋を集めた場所じゃったんじゃね。広町.comを始めて以降、広の歴史についても興味があったんじゃけど、色々と調べて行くと「今の広町は、戦争(工廠)あっての広なんだな」と実感する。白石や虹村にある会社って、当時の技術の流れを汲む会社さんばかりじゃね。そこら辺のこと、広の人はもっと誇っていいんじゃないかな。素晴らしいよ。
しかし思うのは、何故今になって大和なのか、何故今の時期になって戦争についてこうも取り上げられているのか、こうもあちらこちらで語られるようになっているのか。ってこと。
先日、TVでTBSが原爆を開発した研究者を広島に招いて被爆者と対談させる番組やってのを見た(筑紫さんの出てたヤツ)。米の研究者は「remember pearl harbor」であり「Dirty Jap」なんだと思い知ったと共に、戦闘機の設計思想における日米の考え方の違いに唖然とした。
どうして、戦後50年のときではなく、今の60年になってから、こうも語られるようになったん?
だれか、納得できるように教えてや。