ありがとう、えこにん。本当にありがとう。

(この記事はもうちょっと先で書こうと思ってたんだけど、もう何人かの方がupされてるようなのでこちらも書きます)

新年。元旦。
遅い起床の後に、おせちを食べるべく準備してたら携帯に着信あり。

島根の自転車仲間からで、

さっき送ったLINE見た?えこにんが大晦日に亡くなっちゃったって!!

え、LINE見てなかった。ってか、えこにんが???
ウソだろ。夏にビーバードで逢ったんよ?

その後、LINEの文章を読むと、具体的なことが書いてあった。
ウソだろ…(絶句…

夏に逢ったときに、「血圧が高いんで、痩せなきゃならんのよ」とは言ってたが…
マジか…信じられん。

その後、各方面の自転車仲間から、電話やメールやLINEやFBで次々に訃報が届いてきた。
皆さん、気にかけて教えてくれてありがとう。どうやら本当のようだ。
通夜・葬儀の日程も届いてきたので、最後の別れを告げるべく赴くことを決め、通夜の場所もFBで届いた。ソーシャルネットワークの威力ってイザと言う時に底力が分かるな。

葬儀の日は こちら仕事始めの日で、どーしても外せないから通夜に参列させて頂くことにした。
くるぱん奥さんも別れを告げたいと言うので、クルマを飛ばしてふたり島根に向かう。

道中のクルマの中。会話は少な目。
えこにんとの思い出を語ってみる。過去の自分のブログ記事を漁ってみると、彼に初めて逢ったのは、あの極寒の石見GF’08のスタート地点だったんだな。それ以前はmixiのコミュ内での縁だったことを思い返してみたりする。

県境を越え島根に入った。
この時点でも、まだ彼がいなくなったってことに半信半疑だ。

会館に入ると、いつもの彼がいつもの笑顔で座ってて、

ごめんごめん、驚かせちゃって。
でも、こうでもしないとみんなで集まることも無いじゃん。

って、えこにんらしいジョークをカマしてくるんじゃないかと言う気がしてならなかった。

真っ暗闇の中、Googleセンセに道案内してもらった会館に着くと中は既に多くの方々で溢れていた。
ご親戚、地縁だろうか。高齢の方がとても多い。
いつもの自転車乗り各位の顔ぶれは、入口付近に並んで立っていた。

こんな形でみんなが揃うなんて…
って、確かにそうよね。

通夜式が始まり、焼香が回ってきて…
最後に喪主であるお父さんからふり絞るような声で、彼の最後の様子が場内に伝えられた。
そうか。
そんな最期だったんだね。
なんだ、本当に旅立っちゃったのかよ。なんだよ…ったく…何歳だと思ってんだよ…

式が終わり、最後に別れを告げようと祭壇前に行くと…棺がない。
何と…。

この地域では、荼毘に付した後で通夜を迎えるんだね。
呉界隈では葬儀の後で荼毘にするのが良くあるケースで、最後のお別れを言えると思ってた私らにはかなり意外だった。

そうかぁ~…
ちょっと心残りだけど、別れを告げることができたってことには変わりない。来て良かったよ。
遺影の彼は黄色いパールイズミのサイクルジャージを着て笑っていた。
いつもの笑顔がそこにあった。

えこにん…(泣

式を終えた後の会場で、彼にとても近しい自転車仲間たちと立ち話をした。
そか… 本当に急なことだったんだね。

宝です
宝です

今の自転車ブームの始まりが2007年とか2008年頃だったんじゃないかな。
そのちょっと前から開催されている島根の自転車イベント、石見GF、出雲路CR。このイベントの立上げ、そして開催と成功に彼はとても大きな貢献を果たしてきたんだと思うのよ。並々ならぬ尽力。特にコースガイドビデオは秀逸だったよね。

そんな彼に影響を受けて自転車の世界にのめり込んで行った人は少なくないと思う。
何より自分自身も彼に多大なる影響を受けてこの世界に没入して行ったんだから。

ゴゴリバは今でも参加できてないな、ごめん。
ブルベにハマって以降は、出雲のイベントも疎遠になりがちだったね。ごめん。

でも、あの尽力を見てきたことで本当に沢山の沢山の影響を受け、今の自分があることは間違いないよ。
ありがとう、えこにん。本当にありがとう。

2010.7.28 ビーバードにて
2010.7.28 ビーバードにて

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