平成30年7月豪雨・災害ボランティアに行ってきた(かなり長文)

最初に:
この度の災害ボランティア参加する意思のある方に向けて、私の経験をかなり詳細に記述します。
被害に遭われた方には、思い出して辛い部分もあろうかと思いますが上記の理由ですので、どうぞご理解ください。或いは、この先を読み進めないでください。

2018年7月12日(木)、たまたま仕事休み入れてたので、くれ災害ボランティアに行ってきました。その日の様子を記しておきます。

Twitterの呉氏垢の情報より、ボランティアの受付が始まったことを知り、サイトで必要事項を確認した。
夕方、念のためボランティアセンターに電話し、集合時間と場所を再確認。事前申し込みなく、明日の9時に呉市役所に行けば良いとのこと。
→ 後日情報によると電話対応もままならないので、サイトに書かれている通りだからいちいち電話してくんな💢ってことらしいw 行く意思の方はつべこべ言わず朝9時に市役所へGoだ!!

特に気を使ったのが服装だ。
こちらのサイトに服装・装備が書かれているのでそれを参考に用意した。

↑ いたる所で目にする画 ↑

長ぐつ、汚れても構わない長ズボンと長そで服。軍手。
ホムセンで新たに購入したのは、防塵マスクと厚手のゴム手袋(テムレス)。
防塵メガネはチャリ用を使用だ。

Twitterでボラ行くことを明かしたところ、中学校時代からの親友かつお氏から緊急着信あって『必要な物資があれば貸すよ』と。お言葉に甘えてヘルメットとスコップを借りた。
災害ボランティア初めての自分はあれこれと質問しまくった。サンクスかつお氏。

当日。

9時に呉市役所庁舎に向かうため、8時過ぎに家を出発。もちろんチャリでだ。
奥さんが昼食用にオムスビを幾つか作ってくれたのと、水分は500mlの水を2本(実際、水分はこれでは全く足りなかったんだが…後述)。
途中コンビニで更にオムスビを3つ購入。保存性の良い梅干入りだ。

9時前に着いたかな、呉市役所庁舎到着。実はこの新しい庁舎は初訪。
隣接の駐輪場は既に自転車で溢れかえっていた。
無理矢理停めて、急ぎ足で庁舎正面の大きな自動ドアから中へ。

驚愕!

既に多くの人が集まっている。

その数、500人以上か。広いロビー内にはとても多くの人が並んでいた。
まず~ぃ…出遅れたか…気は焦るが仕方ない。
一旦奥まで見に行き、戻ってきて列の最後尾に並んだ。

ボランティア受付窓口は、ロビー入って右奥の方だった。人の列は4列に整列されてて入口まで来て、折り返して再度受付窓口付近まで到達していた。

これだけ多いんなら、もう自分の出る幕は無いんじゃないか。もう帰っちゃおうか…って気が浮かんだが、まぁ並んだ。

並んでる人の9割以上は若い人だ。高校生or大学生だろうか。市内高校の体育会系ジャージを着ている人が多いな。
その若い人の中でも、女性比率が圧倒的に多い。女性8割vs男性2割ってところか。これは意外だった。
自分のようなオッサンは僅少。ま、平日だからと言うこともあるんだろうけどね。
服装に関しては多くの女子が部活ウェア。サイトで案内しているようなカンペキ装備組は少なく、ヘルメット持ってるのは更に一部のオッサンのみって感じ。

列の進行は遅い。気分は焦る。
振り返ってみれば、自分は列全体の8割ほどの位置にいたようだ。
受付に時間掛けちゃって、この間にも現地で動くことが出来るだろうに、早くすりゃいいのに…って気分だった、この時点では。

10時40分。ようやく受付窓口まできた。手続きする。
受付用紙に名前、年齢、性別、携帯電話番号、住所を書いたかな。
これとは別に名札シールにカタカナで記名。付箋にもカタカナで記名。
用紙のみを渡し、名札シールは胸に貼り、付箋は持っておく。

この時点で初参加か二度目以降かで振り分けられ、自分は初参加のグループへ振り分けられる。
100名ほどでフロア地べたに座って、本日の注意事項を聞く。いわゆるブリーフィングだ。

内容は気をつける事項などの説明。要点は以下かな
・連日熱中症の人が発生しているので、水分補給と休憩を十分に
・作業は10分毎に休憩すること
・現地での撮影&SNS投稿は厳禁!!

地べたでの説明が終わったら、隣に並べられた椅子に座る。10×10の100人ほどか。
その座った順にグループ分けされる。
9人で1グループだったり、13人で1グループだったり、人数はスタッフ任せだ。
そのグループの中からリーダーが1名選任される。

自分は9名のグループに入る。
ブリーフィング時に近くに座ってた体育会系高校生風の彼がグループリーダを任せられた。

この彼。服装は「この後、海に行くんだ♪」的な、非常にカジュアルな服装で履いているのはクロックス。
服装チェックで参加を拒否されるどっかの自転車イベント(笑)とは違い、装備がアレだからと言って本日のところはお引き取りください。ってことは無いようだ。
だけど被災された方々のためにも、やはり服装はちゃんと意識して行くのがマナーと思う>今後の方へのメッセージ。

持ってた付箋をリーダーに渡す。
リーダーはスタッフから渡された、点呼シートのようなもの(記述内容は不明)を持ってて、それに付箋を貼っているようだ。

グループが結成されたら、最後にアクエリアスを受け取って玄関から出て行く。いよいよ出発だ。この時点で本日の行き先や作業内容は伝えられていない。
玄関先に停めてあるマイクロバスに乗り込み移動が始まる。

彼は数名の男子とグループで参加しており、男子の相互コミュニケーションの常套句である、だりー、しんどい を車内で連発している。
車内では「弁当ってあっちで出るんじゃろ?」とも言ってるのがいる。大丈夫か。

バスは魚見山トンネルを抜け、広島方面へと。予想通り天応地区に行くようだ。
順当にR.31を走行し、天応大屋橋のバス停で下車し天応小学校の校庭へと案内される。校庭には自衛隊車両が多数停まっている。大阪から来てくれているようだ。

先着している他のグループメンバーと共に、タープテントの下で待機し、スタッフの○○ちゃんと言う女性(かなりフレンドリー)から最後の注意事項説明を受ける。やはりSNS投稿禁止を重ねて言われる。そして別の引率スタッフに連れられていよいよ現場入りだ。

天応小学校から国道に出て、横断陸橋渡って、電車の来ない踏切を渡る。渡ったところに、ま新しい天応支所があった。
支所は災害復興拠点になっており、給水や訪れるボランティアのサポート。もちろん被災した方々の避難所となっている。
支所の向こう側、更に低いその一帯には大量の砂が流れ込んでいた。

メディアで連日報道されているのと同じ景色が目の前に広がっている。
建物が流されたりクルマが転覆大破しているような激しさは無いものの、流されてきた土砂の量はものすごい。

一帯の家々は床上浸水した形跡がパッと見ただけで分かる。停まってるクルマにも浸水した形跡がある。

その一帯の一軒のお宅にグループは連れて行かれた。ここが本日の現場だ。
背負ってきたリュックは近くの木陰に置いて、財布だけはポケットに。
家の方に挨拶し、お邪魔させて頂く。

…。

言葉を失う。

浸水の痕は床上、胸の辺りまである。
タンス、冷蔵庫は倒れ、室内の家財と言う家財は真っ黒い泥にまみれ散乱しまくっている。畳もめくれ上がり泥だらけだ。
どこから手をつけていいのか分からない状況だ。

さっきまで威勢の良かったリーダーが動かなくなった。
まだ若い彼らは、私以上のインパクトを受けたのだろう。無理も無い。

これを読んでいる方で、今まで生きてた中で言葉を失う経験をされた方がどのくらい居られるだろうか。
自分50歳。衝撃を受けたことはまぁ無くも無いが、言葉を失うって経験は初めてだ。

家の方はご高齢の方で「家の中の物を全部捨ててください」と言われる。
さて、どうしよう。

出しゃばるようだが、自分が音頭を取るしかないな。
リーダー悪い。君の2.5倍は生きているんだ。指示を出さしてもらうわ。

畳は水を吸って非常に重い。3人で持って外へ。
倒れたタンス重く扉も開かないのでバラす。中から出てきた服は少し濡れているもののきれいだ。家の方に相談し、服は庭の陽当りのよい良い場所に置いとく。

若い彼らは「全部やって」的な丸投げだと何をどうして良いのやら分からないようだが、こちらが手本をやってみせ、じゃあ、これとあれとを出してね。って具体的に指示を出すとそりゃもうパワー全開でやってくれる。そーゆーもんだと思う。

やってみせ
言って聞かせて
させてみせ
ほめてやらねば
人は動かじ

ー 山本五十六 ー

また、このお宅の作業には別の女子グループが入っており、そちは室内や軒先の泥出しをしていたので、そちらにも力添えやアドバイスさせてもらう。

そして、実際に動き始めると忘れそうになるのが、10分毎の休憩。
ブリーフィング時に「リーダーは時間を気にしてメンバーに休憩を促して」って言ってたけど、実際にやり始めるとリーダーもメンバーも休憩を疎かにしがちになる。これも仕方ないと思うよ。

なので、休憩してよ~休憩してよ~と皆さんに声を掛けて回るのもやった。
休憩の時、外の木陰でひとりの学生風女子に話し掛けた。

爺:どーやってこのボラに参加しようと思ったん?学校から行きなさいみたいな通知が来たん?
女子:いえ、そんなのは無くて、Twitterの呉氏垢の募集見て来ました。

だって。えースゴイね。それだけでこんなにも多くの若い人たちが動くもんなんだね。爺としてはちょっと感心するよ。

そして、今日が2回目、3回目と言う女子も居る。
一度やった上でまた来ようと思う。確かに学校が休み期間中と言うのはあるよ。でも、何とかしてあげたいと思う気が本当にあるんだろうね。尊敬するよ。

最近の若いモンは…と爺婆は言うけれど、若いモンってのは昔も今も変わらずいいモンだと思うよ。まぁ、爺婆もそれはそれで昔も今も変わらずいいモンだと思うけどね。

自分はね…
お家の方から、あれこれ頼まれるんですよ。
隣接のちょっと高くなったところから庭に落ちてきているヨド物置を持ちあげられる?
いや、中にどんなモノが入ってるか分からないですし、うんともすんとも動かないので、こりゃユンボ入れんと無理ですよ。
お風呂の開き戸が開かないんだけど、開けれる?
扉がちょっと歪んでるし、浸水で下の方が膨張してるのも影響してるかもですね。壊してもいいんでしたらチカラずくで開けますけどいいです?
えぇ、壊しても構わないので開けてください。

あ、えーっとですねぇ…
 私ですねぇ…普通のサラリーマンな訳なんですよ。
 ちょっとだけ手先が器用なだけで、偉そうにしているオッサンなんですね。
 決してレスキューのプロだとか、そっちのスジの人間じゃないんですね。
 なんでね、過度な期待されちゃっても困るんですよね。
 でもね。ヤレと言われれば全力でやりますよ。
 こーゆーの好きだから。
これは、心の声ねw

持ってきたスコップで扉のすき間からこねくり回して、ヒンジ止めてる木ネジを引っこ抜いて御開帳。
これでいいですかね…。
喜んで頂けましたので、まぁ良し。

屋外で作業してた男子がアタマが痛いと言うので、それ熱中症になる兆候だから、陰で休んで水分とって。マジで。
連日の活動で熱中症が出ているんだって。無理もないと思う。とにかく、頻繁な休憩と水分・塩分補給だいじね。

自分も持参した550ml x 2だけでは全然足りず、現地センターで2本水を貰いましたね。これから行く人は2リットルでも不足気味だと思うので、覚えといて。
あと、食事も合間合間でとるようになるので、お弁当よりもオムスビを何回かに分けて食べるのがいいかもですね。

あと、ヘルメットですね。やはりあるなら被った方がいいですね。
畳がめくれ上がってるってことは、足元から鴨居までの距離が近くなってるのでアタマを打ちやすくなってます。実際、何度もゴンゴンと当たりました。

活動は3時(3時半?)までと言ってた。
午後から始めて、3時ってなんぼも活動できんじゃん!って思った。
でも実際、このオッサンにしてみれば3時間も活動することはできなかった。
作業のキツさもあるだろうけれど、暑さ影響もかなりあると思われる。
ラスト1時間くらいは後方支援(って聞こえはいいが、実のところサボってた)してたんよ(汗;

終盤はみんな疲れてて、女子も「ムリ~、終わりが見えない~」って嘆いてた。や、終わりはないんよ。終わりは3時。できるとこまでやるだけ。達成感はそんなに簡単には得られるもんじゃないよ。って言った。

でも、家の中の大型のものはかなり運び出せたじゃない。軒先の泥溜まりも泥無くなってるじゃない。
全体で見ればまだまだだけれど、部分部分では片付いて行ってるよ。これ以降は明日からのボランティアに任せようや。

2時40分だったか。
町内放送があり、天応地区に大雨避難警報が発令されたと。ボランティアは作業を終了してください。と。
終わりましょうや。撤収撤収。

お家の方にご挨拶し、その場を去りました。

天応支所の前にはま新しい給水車が来てました。熊本県益城町と書いてあります。この1週間、自衛隊や消防や警察など、いろんな車が全国各地から来てくれてます。支援の方々がたくさん来てくれています。本当に有難い限りです。ご支援に感謝いたします。

天応小学校に戻り、帰りのバス到着を待ちます。
前夜から通れるようになったR.31は大渋滞らしく、呉市役所からの折り返しバスはなかなか到着しません。暑い中を皆さんと共にジッと待ちます。

何だかんだで1時間は待ってたと思いますが、バスが来ましてのようやくの帰路です。流れ解散って感じですかね。

市役所の中では、本日参加した人に対してボランティア活動証明書が交付されるようですが、当方にとっては特に必要なものではないので、頂きませんでした。代わりに、本日が賞味期限なのでめっちゃ喰ってってくださいと大量に余っているセブンイレブンの菓子パンを頂いて帰途につきました。

人生初めての災害ボランティア活動が終わりました。
最初はぐっつり1日働く気負いだったけど、2時間もすればグロッキーなことが理解でた。思い返せば、朝の受付があんなにも時間掛かったのも、全く焦る必要ないからですね。受付待ちの早かった人は、早くから現場に入って早めに上がってることでしょう。こちらは遅めに入って遅めに上がる。
恐らくそんなローテーションで回っているんだと思います。

そう思えば、こんなハードワークを朝から晩まで連日行う自衛隊やレスキューの人って、本当に体力と精神力が並み半端ないんだなと、つくづく思った。
ご苦労さまです。

なんで、ひとりの人が頑張るのではなく、なるべく多くの人がまんべんなく参加して被災地の復旧をお手伝いしてあげるのが最善と考えますね。
この記事を最後まで読んで頂いた方、是非、朝9時に呉市役所に行ってください。オッサンでもオバサンでも、どっちか分からない人でも(笑)若い人をマネジメントしてあげることができれば、活躍のステージはあるのですから。

是非!
もう一度、くれ災害ボランティアセンターのリンク貼っときますね。

それと最後にですが被災された方々。
私らは、その日だけのお手伝いしかできません。復旧までのほんのごく僅かなお手伝いだけです。でも、被災された方々はこれから途方もない努力で元の生活に戻って行かれることと存じます。
避難所での生活。クーラー無くて暑い夜を過ごすのはもうストレス以外の何者でもないですよね。いつもの風呂にゆっくりと入ってた日常が懐かしいですよね。急ぐ必要は無いと思います。どうか諦めずに。
その過程のほんの一部分だけでもお手伝いさせて頂けたことに、こちらも感謝いたします。2年先、3年先…にそっとこの地を訪れてみたいと思ってます。皆さんの日常が戻っていることを期待して。

今回のボランティアが最後ではなく、この先もまた参加したいと思ってます。是非。

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