本質を考え抜くチカラ

ネットがここまで氾濫して、しかもGoogleなどの検索エンジンが強力になって、非常に便利になった。
調べモノはとっても楽になったよね。仕事上、とても助かってます。
出遭ったことも無いエラーメッセージが出ても、Googleで調べれは原因と対処、人柱がどのように解決していったかが、簡単に調べられる。

だけれど、懸念していることがあった。

調べモノをするには確かに楽になったけれど、考えることとか、努力して探し抜くチカラと言うか、色々な書物を探しているうちに思いもかけないモノに出遭ったりとか…そういうことが無くなっているのではないか。

調べモノが楽になるばかりで物事を深く考えず、単語について意味を知っているだけで、深層を理解しようとしないと言うか。本質を考え抜くチカラと言うかが欠けつつあるんじゃないか。

ウチの新人クンを見てても思う。

「○○って言う技術知ってる?」と尋ねると
「ハイ、知っています。△△△って意味ですよね」って返ってきます。

だけれど、その○○を使いこなすとか、○○の設定を変更することによって何がどのようになるのかは知らないというか知ろうとしない(ように見える)。
ただ、ソレは新人クンに限った話じゃなく、ここ最近の多くの若者に共通なんだろう。

今朝の記事にこんなモノ見つけた。
グーグルが奪う「本質を考える力」

私が何となく感じていたことを、的確に表現している文章でした。

見た目を重視し、中味を評価しないと言うか見ようとしない…これでいいのか日本人。
こんなんじゃあこの先、中国や韓国にあっさり抜かれちゃうよ、間違いなく。

 

5件のコメント

  1. ちょっとした自慢話になってしまうかもしれませんが・・・
    最近は時間がないのであまりやってませんが、サークルによく「手話指導をして下さい」って小学校からの依頼があって行くことがあります。
    が、私はそこで手話をほとんど教えません。「なぜ手話が必要になるのか?」の過程の方に重点を置いてゲームや話をして、手話はあいさつの単語を少しばかり教えるくらいで、「あとは自分で調べて下さい」って言って帰ります。
    学校側や保護者からすると手話をもっと教えて欲しいと言われるのですが、1時間やそこら教えたくらいで“知ってるつもり”になられても困りますし、大事なのはうわべの手話を覚えることではなく、聞こえない人と聞こえる人はものの見方、見られ方が違うってことや、そこから社会の問題を理解してもらうことが大事なので。ただ、そこまで考える先生自体もいないのが悩みどころですけどね。

    最近、某番組で納豆を取り上げたとかでバカ売れしているみたいですが、手軽に健康を求める風潮に今の問題が浮き彫りになっているように感じます。バランスの良い食事と適度な運動。これに勝る健康法はないはずなのに、それをしようとしないのは何故でしょうね。
    情報や知識があふれていて、それに振り回されて余裕のない人が増えている。そう感じます。もっといろいろな経験をしていれば、己の経験を信じられるはずなんですが。表層をなでているだけではわからないってことを学んで欲しいのですが、それを教えられる人も少ないんでしょうねぇ。

  2. ぢょや さん

    真摯なコメントありがとうございます。確かに見た目だけ、上辺だけが持て囃される世の中になってしまったんですね。お手軽に、努力せず、お金を掛けず…全てそれで良いのでしょうか。
    そんな環境の中で育った子ども達が大人になった世の中は、想像するだけでも怖いです。

    納豆の件、本日の記事に書きますね。

  3. いや~この新人君、うちの会社にも似たようなのが居るよ~。
    分からんことがあったら、とりあえずググってみて、当面の分からんかったことは解決するんじゃけど、
    じゃぁ、なんでそこを直したらちゃんと動くか?とか、他にどんな方法があるか?とか、一切考えんのよね。
    わしがシステムに居る頃も、そんな感じじゃったけ、「おまえ、それ解決したのはええけど、なんで直ったか分かったんか?」
    って聞いたら、「とりあえず、この部分が終わったら調べます」って言うもんじゃけ、「そういう時は絶対調べんじゃろ?」って聞き返したら、
    何も言えんようになっとったけぇね。
    仕事で詰まったら、とりあえずその問題を解決だけはするけど、本質の部分を調べるという、ある意味「回り道」を一切やらんのよね。
    そんなんじゃいつまで経っても「SEとしての技術力の向上が止まったハズのわし」を追い抜くことはできゃへんよって思うわけです。
    今時の若いモンは・・・まったく・・・。

  4. MAN3さんに勝手にレス(笑)
    その新人さんの擁護するわけじゃあないけど、もしかしたら「とりあえず、この部分が終わったら調べます」っちゅう気持ちはもっとるけど、それをしとる時間がないいう事実もありゃしませんか?
    結構うちらも優先順位で目先の処理に追われて、「後でやろう」思うとることを結局はやっとらんいうことがいっぱいある。そういう余裕のない社会に慣れてしもうとる言うか、「できんのがしょうがない」思うて、そういう優先順位が低い?(ホンマは低くないけど)全体的な部分を考えるとか調べるいうことをやらんようになってしもうとる若者を作ってしもうとるのは、ある意味、そういう世の中を作ってしもうとるわしらの責任のような気もする(あ、でもまだわしも若者の仲間じゃけど)。
    わしも仕事で若いもんにことあるごとに、「頭使ええよ」「全体を見いよ」言いよるけど、そりゃやっぱり小さい頃からの訓練で養うセンスが必要な部分があるけえ、小さい頃から目先にとらわれんように、本来なら「ゆとり教育」を休み増やすだけじゃのうて、もっと別な意味でやってもらわにゃいけんかったんじゃろうけど、なんかちょっと学力下がったくらいで授業時間増やす言いよるし、もうこの国のお偉いさんはバカばっかりじゃけえダメかもしれんねえ。

  5. ☆ MAN3♪
    そうそう、MAN3の書いた通りです。
    実はウチの会社、長い間新入社員を採らなかったんです。で、久しぶりに入った社員が私の下に付いたので、そのような行動が彼個人のものなのか、彼ら世代に共通の行動なのかが分かりませんでした。
    だけれど、他の事業所の人や、別会社の人らと話していたら、どうやら今の時代の人たちは、MAN3が書いたような感じの人が多いようですね。

    この先、一体どうなってしまうのでしょうか。

    ☆ ぢょや さん
    MAN3のところの新人クンが多忙かどうかは分かりませんが、ウチの環境の場合、今のところ彼の仕事は私の裁量に任されていますので、比較的時間に余裕が持てる様に仕事量を配分しているつもりです。(ま、彼にしてみれば忙しいのかも知れませんが)
    ちょっと時間に余裕があるタイミングで調べる時間とか、他の人に○○について教えてくださいと請うことも出来るハズですが、それをしようとはしません。

    学校時代の教育から由来しているのか、社会そのものが表面しか見ないことから由来しているのか…。

    でも、思うんですよ。私らの時代は余裕があったなと。今は余裕が無さ過ぎですよね、彼らにしても、教える立場の私らにしても。昔は仕事時間中でも、結構集まって無駄話とかしてたじゃないですか。効率と言う意味では良くないですけれど、コミュニケーションと言う意味では良かったですよね。以前はあった慰安旅行も今は無くなり、人との関わりがますます稀有になりつつあります。

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