吾れ十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順(みみした)がう
七十にして心の欲するところに従って、矩(のり)を踰(こ)えず
私は十五歳で学問を志した。
そして三十歳で一本立ちした。
四十歳であれこれと迷うことがなくなり、
五十歳になると天が命じたこの世での役割と自らの限界を知った。
そして六十歳になったときには、人の言葉を素直に聞けるようになった。
七十歳になると、自分の思い通りにふるまっても道に外れることはなくなった。
出典はこちら
11月15日 こなき誕生日 いよいよ四十路に突入
しかし、四十やで、四十。オッサンでぇ~。
かの孔子ですら、40歳で迷いが無くなったって…?
おいら、まだまだ迷いだらけよ。
この先の趣味は自転車ってことだけは迷いが無くなったけど…
以前の趣味はPC自作とかって暗くやってたけれど、その趣味は廃業しました。
しかし、迷いだらけですワ。
でも孔子サマですら、60歳で人の言葉を素直に聞けるようになったんでしょ?
四十路なら、まだワガママ言っても許される?
って、逃げてんじゃねぇ~よ > 自分
孔子サマの時代と違って、現代は外的要因によって生き方が大きく左右される時代じゃない。
例えばリストラとか離婚とか倒産とか誤認逮捕とか、元凶が自分に起因しているにしても孔子サマが生きてた頃よりも、迷い多き時代にはなっちょると思うんよね。
30になる頃に広町.comが始まって、今の自分の身の回りの多くのことが、広町.comから広がったご縁によりもたらされていると思うんよ。
そーゆー意味では、広町.comを始めて本当に良かったと思ってる。
この10年、広町.com様々。
皆さんに感謝してます > All
で、そんな自分の40代
広がったご縁を基に、この10年は深めて行きたいな。
(広げるのはもうそろそろエェかもね…)
会社人としても、40代が飛び切りの成長期であるとは思えないし、
カラダもそろそろガタが出る時期じゃろうし、
その分、子ども達が成長し、そこに多大にパワーを注ぎ、
次世代にぼちぼちとバトンを渡してかなきゃならないし、
何より家庭は今まで以上に大切にしなくちゃ(ここはポイント)。
この先の10年。どんな風に生きて行こうかしらん。
どんな楽しいことが待ってるかしらん。
どんな荒波が待ち受けているのかしらん。
先ずは40年大過無く生きてこられたことに感謝。
両親、親族、知人、友人、同僚。家族。伴侶。 感謝 感謝です。
人生80年として折り返し地点かな。
あら、、、、ぁぁ
>両親、親族、知人、友人、同僚。家族。伴侶
の位置がドベっちょなのが、気になるわねぇ。
タイトルですぐにピピンと来ました。
誕生日おめでとうございます。
物質的な欲のせいでw「本当に迷える時代だと思います。
それを超えて本当の幸せ・生き方とは何かを
孔子の教えが今になってもキラリと学ばせてくれますね。
☆ くるぱん
「、」と「。」を使い分けてるでしょ。
そこんとこ気づいて欲しいなぁ~。
☆ ブルボン@大窪 さん
ありがとさんです。
四十路にして物欲街道まっしぐらですよ。
迷い・悩みの尽きぬ日々です。
読ませていただきました。
私は、たまたま、論語の五十にしてをなんと言うのかなと思って検索し、入ってきました。
五十にして天命を知ると分かりました。
ありがとうございました。
でも、ここへ、記入した理由は、このページを読んでいくとまだまだ四十で惑わずとは行かないときされているので、初めて記入させていただきました。
私は今50歳です。
私が、20歳のころ、ある禅寺に学生座禅会というものがあり、社会人のなりたても含めて、4回は行ったと思います。
1回が5日間です。午前4時に起きてほとんど、雲水と同じ生活をします。
午前に老子提唱というのがあり、1時間ほど講和があります。
その時に印象に残っている言葉はたくさんありますが、
うかうか三十、きょろきょろ四十。
というのがあります。ご参考下さい。
ただし、仏陀は29歳で出家し、36歳で悟りを開きました。
一方、禅の世界では百丈和尚という大禅士がいて、
一日なさざれば一日食わず。という言葉を残していますが、
本人は、40歳を超えてから出家しています。
また、現代日本でも、40歳を超えて出家して1000日回峰
をなさった方もおいでです。
遅い早いはないことと思います。
物事は気づいたときから始まりだと思います。
私もまだまだこれからです。
それでは失礼します。
何も自分の名前を変える必要もありません。
名前は重要と思っています。論語は孔子の言葉です。
リンカーンの民のためのと言う言葉もありますが、どこの誰が言ったのかという世界は私には分かりません。
しかし、気持ちは分かります。
一時的には違う人になる、或いは本人に問うてもそそれは私ではないといえる。
平野雅一 さま
わざわざありがとうございました。
とても良い人生を歩んで居られるご様子が伺えます。