悩んでいる

実はここ最近悩んでいる。
そう、3月11日のことだ。 あの震災から丸1年目の日が来る。

この日をどんな気持ちで迎えるべきなのか、今の時点で自分の中で整理できてない。 未曾有と言う言葉も聞き飽きた。これだけ聞かされると、もはや未曾有そのものが未曾有ではなくなってしまう。

あの日、あの時間、自分は何をしていたのかと思い返せば、ちょうど自転車Life展を開催している真っ最中であり、商店街ギャラリーに居たときだった。

曜日は金曜日。来訪者も少なく、居合わせた部員の皆さんと駄弁っていた時じゃなかったか。確かU☆1さんケータイのワンセグTVで、関東の方で大きな地震があったとの一報を知る。

小さな画面では良く見えないので、ギャラリーにあったTVに無理やりアンテナ線をつないでアナログ地上波の放送を見た。

津波が建物やクルマを飲み込んで行く様がライブ中継されている。

あぁ…

最初は客観的に見れていたけれど、次第に思いは変わる。展示会なんてやってていいのか。
2日目以降、会場に募金箱を置こうかなんて話も部員間で出ていた。

あれから1年…か。

被災地の方には申し訳ないが、こちら瀬戸内は何も変わってないです。2011.3.11以前も、その日以降も。
月に一度やっていた日赤への募金も秋にはなしのつぶて…何ヶ月続いたかな。偉そうなこと言っても、所詮この程度です。自分。

4月に述べた想い。勢いに任せ、言い過ぎている部分もあったなと自省するとこもあるけれど、残念ながら現時点、日本はあんまり変わっていない。もっと劇的に変わるかと思っていたけれど…。所詮は対岸の火事なのか。自分を含め、本当にこれで良いのかと問い続けたい。

ネット上には、いつでも閲覧できるあの日以降の様子が沢山拡散している。そのことに何の意味があるんだろうか。デジタルアーカイブとか言ってるけれど、被災地の人は本当にそれを望んでいるのだろうか。

想像以上だったのは全国の原発が順次停止して再稼動してないこと。こんな状態になるとは思ってなかった。「電気がなくなる」と書いたのが、こんな形で具現化するとは思ってなかった。だけれど、こんな自分では「原発反対」なんて声高らかに言うなんて白々しくて、東北の人に申し訳ない。

本当に被災地を思うなら、どうして全国の自治体はがれき処分を引き受けないんだ。呉市は検討とかしたんだろうか。

政府は3月11日の午後2時46分に、黙祷を捧げようと呼びかけているが分からない。どんな気持ちで、その時を迎えれば良いのか、わからない。

こんな気持ちのまま、迎えてしまうんだろう。そんなでいいんだろうか、自分。
どうしたいのかも分からない。

10件のコメント

  1. はじめまして。オレンジライドのとき初めてお会いしてからというもの、毎日ブログを拝見させて頂いてるこなきさんの隠れファンです☆
    私も同じ思いで11日が近づくにつれ、複雑な思いでいる1人です。昨年のあの日は仕事に出かける前で、身仕度をしながらテレビをみているとコンテナが流れてる…。あれれ?映画か?
    わけもわからずいそいそと仕事に出かけ、その夜は、早めのホワイトデーだと、彼が初めて作ってくれたおはぎを食べて楽しく過ごしてました。東北で大変な事が起こってるとも知らずに…。
    私にとってはある意味忘れられない日になりました。

    確かに起こった未曾有の大惨事で人も町も思い出もたくさんなくなって、辛い思いをしている方々がいて、がんばろうがんばろうってみんなが声をかけて、募金もしてるのにどこか他人事のような気がしてなりません。ぽぽぽぽ〜ん♪だけが頭から離れず…。

    1年経っても瓦礫の処理も儘ならない。国会であれやこれや言ってるけど何もすすまない。こんなんでいいのかと思ってしまいます。そうこうしてるうちに、またどこかで、ましてや都心で大地震がきたら、日本は終わってしまうんじゃないかと不安でしょうがありません。
    この穏やかな瀬戸内でなんだかんだ言いながらも笑って過ごせてるのは本当に幸せに思います。でも震災はいつ身に降りかかるかわかりません。

    他人事だと思わず、私にできることは限られているけど微力ながら協力し、教訓は活かしていきたいと思っています。
    でもいまの私に何ができるだろう…。
    一先ずこの11日はあの日の出来事を思い出し考える日にしたいと思います。

  2. さち さん

    いつもブログ見て頂きありがとうございます。オレンジライド、つい先日のような気がしますね。

    ぽぽぽぽ~ん、懐かしい!あれだけ一瞬にして人気になったキャラなんですから、グッズ商品化して収益金を復興に充てるなんて発想があっても良かったのかも…なんて思います。

    昨夜のニュースでやってましたが、今でも1日に7000万円の寄付が連日集まっていると言ってました。
    皆さん恐らくそれぞれに、自分に出来る範囲のことをやられているのかな…と思っています。

    震度4とか5の地震がぼちぼち続いているのも、何だか気になりますし。
    何だか出口のない迷路に入っているような気がします。景気も同じく…

    明日は黙祷を捧げ、家の用事とかして、過ごそうかと思っています。

  3. あの日は忘れない、でしょうけど、自分の日常の範囲には見えてないですね
    気が付けば思い出すし、自分で見た光景もいろんな想いが伴って蘇りますけど、自分の生活の中に毎日有るかと言われると、正直ないです。

    それがいいか、とか悪いかとかじゃなく、それは当事者であるか、ないかじゃないかと思います。

    震災や、その他の災害、または交通事故や急な病気など、いつ誰に何が起きるかわからないけど、その当事者にとってはその時その時が現実(の問題)だろうと思います。

    その時に備えることもなかなかむつかしけど、必要なときに、自分にできることをしていきたいですね。

  4. 私もこんな感じですよ。
    http://www.zyoya.com/zlog/2012/03/post-107.html

    ただ、地震に関しては、すでに「震度5弱」とか報じられても、なーんだ5弱か程度の感覚になってしまっていて、東京ではあの日5弱で大混乱だったのに、それを忘れつつあるのが怖いです。
    みんながみんな特別に何かをする必要はないと思いますが、防災意識だけは持っておいた方がいいのだろうな、と思います。

  5. yoshi さん

    yoshiさんは実際に赴かれてましたから実体験として印象深く、想いも私なぞとはかなり違うと思います。
    貴重な体験をされたと敬服いたします。

    そうか、要は被災地とのつながりの深さなんだ。
    現地に親戚や知人がいる。むかし住んでいた。実際に被災地に赴いた、関東圏で実際に地震に遭った…etc。何らかのつながりが深ければ深いほど、想いもより濃いものになることが出来、それに対するアクションもよりリアリティのあるものにすることが出来るのでしょう。

    でも、多くの人は被災地と自分を繋ぐものがメディアの報道程度しか無く、リアルな画像での報道が規制されている以上、ショックの少ない画像しか伝わってこない。どうしても、煮え切らないものになってしまうのも仕方ないのか…。

    そのギャップを埋めるのが想像力、イマジネーションなのか。
    明日の報道は震災一色でしょう。食傷気味にならないよう、程々にしておこうと思います。

  6. ぢょや さん

    ブログ、久し振りに拝読させて頂きました、ごめんなさい。自分のことで手一杯で旧知ぢょやさんのブログを久しく訪問しておりませんでした。下の方に興味深い記事もありましたので、近々にコメントさせて頂きにお邪魔させて頂きます。

    さて、ぢょやさんの11日の迎え方記事を読ませて頂きました。ほぼ同感を抱かれているのかな、と感じました。

    もうこの際書いちゃいますが、どうも全国一斉主義ってんですか?それがイヤなんぢゃと。
    何某かの記念日とか、何某かの周忌とか、正月とか盆とか、バレンタインとか節分とか、何だかこの国の人はは毎日の日付に特別な意味を持たせて、国民一斉に同じ行動を行うのが好きな国民性じゃないかと云う気がしてます。過度な横並び意識。実は以前からそのように思ってたけど、なかなか切っ掛けがなく言いそびれていました。

    だから特にその気がなくても、企業のホームページには意味もなく「この度の震災で被害に遭われた方の…」的な接頭語が付いていてヤになります。本当にそのような気がある企業なら、具体的に意志のある社員を被災地に業務範囲内で送ったり、企業からの定期的な金銭的支援を継続したり…している企業がどの位あるのでしょうか。そんなこともせず、ホームページにそんな行が書いてある企業が沢山あってヤです。だから、言われるまではここのブログで震災話題について書く気が無かったです。どうも嘘臭くて。

    蔓延る横並び意識。震災の日には全国民で弔いの意をあらわす。確かに大切だけれど、前日と当日と翌日の違いって何なの?

    勿論、今日の14時46分には黙祷を捧げました。万感の思いを込めて。
    ひっそりとではありますが、ここ最近になっても犠牲となられた方のお名前が公表されています。1年の時間を経ての公表となると、最近発見されたご遺体と思われ、その発見時の状況を察するに壮絶な状況であったことが想像されます。もう既に普通の肉体ではなかったことでしょう。

    幸せなことにこちら瀬戸内では普通に暮らせているのですから、もっと普通に考えれば良いのだと思います。でも普通であることが後ろめたく感じられてしまう。そんな風に感じている人も少なくないと思います。

    深く考え過ぎなんだと思います。
    これと言って、表面的に表すことが何もできないけれど、日々を過ごして往く中で心のどこかで被災地を思い、今こうして普通に暮らせることへの感謝。

    今日は想いのピークな1日ですが、これからの日々の中でも想い続けていると思います。

  7. って書いてから、ぢょやさんの記事にあったリンク先のページを見ました。

    http://news.nationalpost.com/2012/02/09/see-how-japan-has-rebuilt-in-the-11-months-since-the-earthquake-and-tsunami/

    やはり考え過ぎなのかとも思います。
    失われたものは確かに多くて大きいかれど、いつまでもそこに留まっている訳ではないんですよね。

    メディア報道、恣意的なんでしょうか。それとも、私の目に妙なフィルタが付いてるのでしょうか。

  8. こんばんは〜お久しぶりです。

    自分は、例えばこなきさんの様に、問題提起をしていく姿勢が、今できることをしている。といった事なんじゃないのかなあと。

    あれから、テレビをつければ、芸能人等、元気を送る、勇気を送る、
    某チャンネルでは、俺たちに何ができるか?のネット上討論会…

    失礼とは思いながら、そういったことを聞くのは、嫌でしたね〜
    あんたら、プロだろ?プロなら普段から、皆に元気を与えるのも仕事じゃろ…?
    何ができるか?…男どもよ、まず働けよ〜そしたら、少しでも、財源確保できるだろが〜

    かといって、自分なら…
    どうすればよいかはわかりません。

    ただ、あの震災を通して、ほんの少し、今までよりも人との関係を大事に、考えることができた気がします

  9. こなきさんやさしいねぇ。
    広町でなきゃこのまま拝読してお終いだけど・・・
    これもご縁でコメしてみました。
    私は、非常に微力です。
    恥かしながら、寄付金もほんの少ししかしてません。
    報道見てると、収入なくて、子供がいて・・・不安だよね
    なのに、わしは、良い子して自転車乗ってます・・・
    すごく、落ち込みます。
    確かに、東北の人から見るとわしら恵まれすぎとる。はんぱ無く
    う~ん
    長くなるけん、はしょります。
    人間だったら、心の中でみんな感じてることだと思うよ。
    何かせんにゃあいけん!

    また、人によっては、それを行動出来る人がいる。
    行動できるか、否か
    その違いだと思う。
    明らかな行動できなくても、見えない行いもあるし・・
    とりあえず、私は中途半端かもしれない、行いをしていきます。
    でも、このように頭で考えるだけでも次につながる気がします。

    今の、私の幸せも大事にしていきたいしね ♪

  10. ☆ ハイブ さん

    問題提起なんて…自問自答してるだけですから(^_^;
    百人百通りの解釈があって良いと思います。メディアの報道は、あくまで自己判断の材料と言うことで。

    今までよりも人との関係を大切に…っていいですね。

    ☆ あがもん さん

    何か後ろめたさがありますよね。でも、罪悪感にさいなまれちゃダメだとも思うし…
    難しいけれど多くの人が想うことで、何かにつながって行けるのではないかとも思っています。

    自転車乗ることで、何かいいことになれば一番良いですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です