昨日の日記の件、どのようにお感じになられましたでしょうか。
ひとつの物事に対して、どのような感情を抱くかは、人それぞれ、百人百色。
私は、何度読み返しても目頭が熱くなってしまうのですが、
否定的なご意見もあろうかとは存じます。
さて、そんなお話に実は裏話と言うか、この後の状況が書かれた記事がありますので、ご紹介しておきます。
あなたは、このお話をどのように感じましたか?
昨日の日記の件、どのようにお感じになられましたでしょうか。
ひとつの物事に対して、どのような感情を抱くかは、人それぞれ、百人百色。
私は、何度読み返しても目頭が熱くなってしまうのですが、
否定的なご意見もあろうかとは存じます。
さて、そんなお話に実は裏話と言うか、この後の状況が書かれた記事がありますので、ご紹介しておきます。
あなたは、このお話をどのように感じましたか?
いや、かく言う私も中国に対しては思うところは色々ある。
だけれど、こんな話も中国にはあるんよ。
(随分以前から知ってた話じゃけれど、ここ最近の報道を見てて、改めて紹介しようと思いました)
泣ける話じゃから、職場では見ないことをオススメします。
宋文洲の傍目八目 捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
一杯のかけそばって話が何年か前にあって、作り話だとか言って騒がれたけれど、こちらは実話のようである。
マスコミに煽られてチャイナバッシングが止まらないけれど、もちょっと考えてみる必要があんじゃないでしょうか。
p.s.こちらの記事には、その後の補足が書いてあります。
ども、激寒の日々の中、自転車ツーキニストの皆さま、頑張っておられることと存じます。
かく言う、こなき自身も毎朝気温計を見ては萎えつつある気持ちに活入れて、自転車通勤しております。
春が待ち遠しいですね。
さて、春が待ち遠しいと言えば、自転車乗りにとって春はシーズンインの季節。
虫が地面の下から這い出て来るように、バリバリのロードレーサの姿をちょくちょく見かけるようになるのも春、3月下旬頃からでしょうか。
で、気が早いのですが、今年の自転車イベントの計画を皮算用してみましょうか。
昨年、初参加した出雲路ワンデイラン。
その時の様子は、こちらのブログを見て頂くとして、今年も参加するよ!!って意気込みは当然あって、くるぱんにも、08年も参加して良しとの了承は得ている。
で、昨日の会社帰りにオカムラさんに寄ると…
『今日、Uさんがお店に来られて、「こなきさん、今年の石見ライド出ないかなぁ~」って言ってましたよ』
と言ってたとのこと。参加のお誘いです。
石見ライド。今年から名称が変わってますね。
石見グランフォンド2008。
グランフォンドとは、長距離の自転車イベントのことです。
昨年参加した、出雲路ワンデイランは160kmを1日で走破するイベントでしたが、
石見グランフォンドは2日間に渡る長距離イベント。
1日目が170km、2日目が130KM、合計300kmを走るもの。
しかも、1日目には標高600mの三瓶山のヒルクライムがあると言う難攻!!
え~、Uさんが誘ってくれてるのぉ~。どーしよーかなー。
実は5月のGW頃まで仕事が忙しいのよねー。
今年の石見グランフォンドは5月10、11日の開催じゃね。
どうしよう。
案1 今年は出ない(弱
案2 1日目(170km)のみ参加
案3 2日目(130kM)のみ参加
案4 2日間とも参加!!
ん~、どうしよう。
出てみたいのは出てみたいが、何せ激しいコース。
仕事も忙しいし、2日で300kmってのは経験無いし。
ん~、ん~、ん~….
悩む、悩む。
くるぱん、参加する気になったら、許可してくれる?w
2月14日と言えば、バレンタイン。
いや、実は20時頃まで、全く忘れてた。
家に帰ってきて、自宅に長女が友達から貰った「友チョコ」を沢山並べているのを見て、あぁ、今日はバレンタインなのね…って、気がついた。(老
で、 いつも親しい娘さんから夜になってお届けものが届いた。
手造りのシュークリームっス(^^)v
へぇ~。上手に作ってるね。早速コーヒと共に頂きました。
また、その妹さんからも手造りのチョコも頂きやした(^^♪
こちらも、ウマーです。
で、我が娘からは…トロフィーと手造りマフィンが(゜o゜)
世界一のお父さんで賞だって。
ありがとね。
しかし、実の娘から「こなき」って書かれてビミョー…^_^;
ののさまは 口では何にも言わないが あなたのしたこと知っている
このセリフに音程を付けて歌える人、います?
我が家には一人います。
くるぱんです。
私はこの歌を知らなかった。
くるぱんが時折歌っているのを聞いて、そーゆー歌があるんだと初めて知った。
仏教系の幼稚園とかで歌うことが多いんかな?
ワシも善通寺子房を出たけれど、御釈迦さんの像に甘茶を掛けてたのを良く覚えてるが
この歌は知らんのよ。
安芸門徒は歌わんのかな…?
youtubeでも見つけられんかった。
ウチの家庭内では、ののさまの部分を「父さんは~」とか「母さんは~」と変えて歌って
子どもたちを諭してたりします。ま、遊び半分なんじゃけれどね。
3連休でしたね。今日が最終日でしたけれど…(泣
初日はヘリテージ、昨日は家族でマッタリ、今日は…
長女のお友達2人が遊びに来てた。
バレンタインのプレゼントをみんなでつくるそーな。
えぇこっちゃ、カリッと青春じゃねぇ~。(老
で、こなきと言えば、自転車部屋で遊んでる。
こーんなことして…
いゃ~あ、コレ、昔からやりたかったんよね。
壁にワイヤーメッシュ下げて、工具類を整理するヤツ。
ホームセンターで売ってる本物のメッシュは高いから、ダイソーの品で我慢。(貧
最初がこんなで、次にこーなって、で、本日上の画のようになりました。
工具類がまだまだ少ないですね。ちょっとずつ買い揃えていきましょう。
足もとに脱ぎ散らかしたウェアが産卵ぃや、散乱してみっともないですね。ゴメンナサイ。
いー感じになってきました。男の城。
ぴょんてっくには遠く足元にも及びませんが、しがないリーマンはこの程度で十分満足です。(安
馬鹿男あをによし…
2008年2月9日。朝から雨模様のこの日、呉ヘリテージ調査隊の実地調査としては最後のイベント(泣
午後からマイクロバスに乗って市内を巡る旅である。
市バスに乗って、集合場所の呉中央公民館に着く頃にはお天気も回復し、風が強く寒いながらも、絶好のフィールドワーク日和となった。
今回の一行は総勢22名。すっかり見慣れた顔ぶれと、また新たにフィールドワークに参加された方も居られる。さぁ、しゅっぱぁ~つ!!
先ず向かったのは大空山。子どもの頃から何度も上がったことのある、広人には馴染みの深い山。まぁ、山ってほど高くも無いんじゃけれどね。こなきも、思い入れの深い場所ではある。小学校の遠足でも行ってるし、こなきの原点『ほどよく田舎 ほどよく街場 広町』をスタートした一番最初に掲載した写真が大空山からの眺めだったからね。
(注:大空山の住所は阿賀じゃなく、広だって知ってた!?)
マイクロバスは狭い山道を苦労して登りながら、大空山に到着。早速現地案内スタートです。案内頂くのは、前回の船上ツアーでも活躍頂いた、艦船研究家のこの方。この方、スゴイですよ。その筋ではかなりの有名な方で書籍も出版されている!!だから、ここ大空山の説明もとっても詳しく分かりやすい!!
で、いま説明しているのは、砲座跡地の様子。ココは、大空山に行ったことのある人なら誰でも見たことあるよね。子どもたちなら、横の斜面を走ったりしたでしょ!
真ん中に二つある丸い部分が砲座跡なんじゃけれど、実際には、ココに大砲(詳しくは臼砲)は据えられる事は無かったと聞いて驚いた。いや、今の今まで知らなかった。子どもの頃から、ココには大砲があったとばかり聞いてたから。そのことは、本日のガイドを務めて頂いてる、もう一人の詳しい方、ヴぁもさんのサイトのこちらの部分に詳しく書かれている。
で、初めて知ったんだけれど、砲台と保塁の違い。
海上の敵に向けて撃つのが砲台、陸上の敵に向けて撃つのが保塁。
早い話、海軍管轄が砲台、陸軍管轄が保塁ってことらしい。
大空山保塁の目的は、広湾から上陸した敵軍を攻撃するためのモノで、大砲から発射された弾は直線的ではなく、上空に向けて発射して孤を描くように飛んで敵に到着すると。で、敵からは見えないように山頂からちょっと後ろ側に砲を据えたと。そーだったとは、初めて知った!!
砲座跡の周囲を囲む部分。斜めのコンクリート造りの下の部分だけれど、この場所、砲弾を立てて置いておくための場所なんじゃと。知らんかったわぁ~。
こちらは指揮官が立って指揮するところ(って、初めて知った)。左奥に見えている石3個の上に立って、方位○○度、仰角○○度、撃てーッってやったんだろうか。
いま見ている、この建造物。砲弾を入れておく倉庫。ヴぁもさんのサイトの記述によると、砲側庫と言うらしい。
入口周囲のコンクリの丸ぁるい部分は全てセメント層であり、攻撃から砲弾を守るために厚い層になっているとのこと。
砲側庫の内部。二つある庫の内1つは入口に扉が付けられており施錠されていて中が見れない。
もう1つの方は中に入ることが出来る。中のスペースは幅3m×奥行6m程×高さ2.5mほどか。そんなには広くないが、突き当たり部分が綺麗に球状にくり貫かれている。
山頂に(昭和55年4月)建設されている展望台からの、広町の眺め。
展望台から、砲座部分を見下ろしてみる。砲側庫の上部に、コンクリ製のテーブルと椅子が出来ている。
あぁ…風が強くて冷たい。次の拠点にも向かわなくちゃならんので、急いでバスに乗ります。
次のポイントは高烏(たかがらす)保塁。音戸の瀬戸に近い場所やね。
ここにも砲側庫が3つあり、砲座跡も3つある。立入りできないよう、階段上部に柵がある…な。
近くにあった案内看板の文字を引用させて頂きます
高烏台のいわれ
瀬戸内海の景観を望むこの台地を「高烏台」と名付けたのは旧海軍が要塞砲台を管理し、これを「高烏台」と呼んでいたことによるものである。
高烏山はこの台地の北方休山連峰の中腹にあり神武天皇御東征の砌、八呎烏が御先導の道をたずんね、翼を休めたという伝説のあるところ。
呉湾に浮かんでいた烏小島も空海軍の拡張工事のため惜しくも削り取られてその島影を失ったが、厳島神社に仕える親子烏がこの島で鳴き別れたという言い伝えなどもあり、烏に因む地名が多い。
昭和三十六年大蔵省より旧海軍用地の貸与を受けこの一帯を都市公園として整備された。
呉市
古い遺跡、先祖の物語は大切にしましょう
大砲を撃つ兵隊さんの退避場所?こちらも上部のコンクリ層が厚い。右端の方の石積みが、樹木の根のチカラで崩れかけている。
休山方向にちょっと歩いて行くと、土地が盆地状に凹んでいる場所がある。
所謂キャンプファイヤーをする場所のようであるが(事実、ここでキャンプファイヤーしてるらしい)、ここは探照灯があった場所の名残りとのこと。
近くにあった案内看板の文字を引用させて頂きます
旧要塞砲台の沿革
この花崗斑岩造りの一連の構築物は、旧高烏砲台の跡である。
明治十六年第二海軍区鎮守府の候補地として呉港があげられ、明治十九年七月軍港設置とともに敵の艦砲射撃に備えて軍港防備の陸上砲台は陸軍において構築することになり、陸軍予算として閣議にあがったが、第一期計画からは除外された。
たまたま日清戦争が起こるにいたって、広島に大本営が置かれるなど情勢の変転に伴って再び砲台構築の議が起り、明治二十九年陸軍の手によって砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり、引き続き同三十二年から三ヵ月の歳月を費やして完了した。
後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用されたが、明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいものである。
呉市
古い遺跡、祖先の物語りは 大切にしましょう
平清盛の銅像の足元にも、遺構がある。
個人的な一言:蛇足ではあるが、(いまの時代となっては)平清盛も全く余計なことをしてくれたもんじゃ。音戸の瀬戸を切り開かずに陸続きのままにしておいてくれたら、橋を掛けたり、また朝晩の通勤渋滞も無かったのに…
って、まぁ1日で瀬戸を切り開いたってのも寓話らしいけれどね…。
清盛公の銅像からちっょと下って行ったところに、大きな建物跡がある。
兵舎跡とのこと。しっかりとした石造りである。
上から見下ろすには、そんなにも大きな建物には見えなかったけれど、中に入ってみると、その広さを実感できる。屋根も窓も扉も失われているけれど、どっしりとした石造りの壁面だけは、長い年月を経てもビクともせずに残っているのが素晴らしい。上部のアーチ組が美しいね。
音戸パーキング(通称:音パ)からの音戸大橋の眺め。定番ですな。ある意味、コレもヘリテージよ。
音パでトイレ休憩した後、アレイからすこじま(烏小島)に移動。
先ずはバスを駐車場に停める。駐車場になっている場所は、海軍工廠の工員養成所だった場所との碑がある。
碑の文面をそのまんま引用させて頂きます。
呉海軍工廠 職工教習所 工員養成所
跡地記念碑
大正七年(1918年)呉海軍工廠は中国、四国地方の小学校高等科二年卒業生より、厳重な試験により、優秀者を採用し、中堅工員養成の目的でこの地に職工教習所(後に工員養成所)を開校し、終戦(昭和二十年)までの二十七年間に約二万人の卒業生を送り出した。この生徒は見習工し云われ、羨望の的であった。
三年間の本科、選ばれて補修科、更に全国の工廠からの技手養成所等への道を設けられ名実共に工廠を担う者となった。
当時の軍隊に入営した者、又一般社会人としても優秀者、指導者として活躍し、広く見習工出身との名声を高めた。
昭和十三年には海軍工作科予備補修生(一般に工作兵と呼ぶ)制度が設けられ、他への流出を阻止されたこともうなずけるものであった。
学校は小さく期間は短かかったが我々に多く教訓を与えてくれたことに感謝する。
戦後、さの精神、知識、技術は各方面に発揮され日本復興と発展に大きく寄与されたことは広く認められた。
しかし、戦争に多くの学友が国難に殉じたことは惜しみても余りあり、決して忘れてはならない。
ここに同窓生より基金を募り、呉市の協力を得て懐しのこの地に思い出と功績を偲び記念にこの碑を建立した。
平成十年五月吉日 同窓会
この碑の横には地下壕の入口がある。当然、コンクリで塞がれているれけど。
また、工員養成所の山側(休山方向)には、このような…なに?これ?何て言うの??
見張り所と言うか、そんな施設の名残。
駐車場から下って行く途中、工廠神社があると言うので行ってみることにしたが、激しい階段が…
工廠神社の激しい階段の途中に、こんなコンクリート造りのモノが…
上で見た施設に良く似ているが、こちらは開口部が斜めに開いていることから、こっちは銃撃することを目的に作られているだろうとの話も。
開口部から、内部を撮影。ゴミが沢山投げ込まれている。とても臭う…(悪
古いビール缶もある。
画像奥の部分は下に向かって降りていく階段のようである。
その階段の行く先は…入口があるが、ここもコンクリで塞がれている。
防空壕などとは違い、ここの設備はかなり頑丈である。塞いでしまっているのが本当に惜しい。
内部に照明を付けるなどしてでも、一般に公開して欲しいね。
これだけのものが残っていることを、大切な遺産として扱って欲しいものです。←コレ、ヘリテージね。
階段の一番上まで行くと、神社があるのかと思いきや…
台座部分はあるものの、神社も鳥居すらもありませんでした。
上がったからには降ります。
おかしい。今日はトレーニングしに来てるのじゃないハズなのに、この激しい運動は何なんだ…
戦後、工廠神社は産業神社に変わったとのことですが、しかし何にも無かった。
階段下りたところに、工廠神社の存在を示す碑がありました。コレが唯一の名残りか。
さあ、海に出ました。アレイからすこじまです。「烏小島」と言う名前の由来は、こちらをどうぞ。
烏小島そのものは、現在の製鉄所の敷地内のどこかに埋没しています。あぁ…
戦時中の桟橋が今も残っています。(現在は使われていない?)
映画、海猿の中で、大和の出港シーンでも使われた、この桟橋ですが、砲弾などの資材を積載するためのレールが残っています。
その桟橋のレールを一直線に延ばした先が、このレンガ倉庫の黒い扉。
この倉庫が、当時は砲弾などを保管していたと言うことなんですね。
その桟橋の横に、古いクレーンが残っています。戦時中のクレーンそのまんまです。
いつもこの前は通っていますが、内部に入ることが出来るようになっているとは知らなかった。
クレーンは電動だったんじゃね。古いモータもそのまんま残っていました。
内部に入り込んでいるこなきを、かみもんさん が撮影してくれました。
クレーンの大きさが良く分かりますね。
さぁ最後。バスに乗り、歴史の見える丘に移動。
ここからのIHI造船ドックの眺めは圧巻です。大型200tのジブクレーン。
ブロック工法で作り上げられていく大型タンカー。左に見える屋根のあるドックで戦艦大和は造られたんですね。
陸の方を見ると、自衛隊総監部と呉市街地が見えます。
歴史の見える丘にあるIHIドックの記念碑(?)
第九工場との記述が見えますね。
こちらは戦艦大和の碑。「噫戦艦大和之塔」と書かれています。
詳しくはこちらのリンクに。
今回もとても興味深いヘリテージツアーでした。
で、今回が最後。残念。
市内の色々なところを探検し、ヘリテージなモノを探すと言うよりも、自分自身が勉強させてもらったと言うところが大きいですね。いい経験になりました。本当にいい経験でした。
主催の皆さま、今回もありがとうございました。とっても良い1日でした。
工廠神社の所で見た、コンクリ造りの監視塔(?)を活用して欲しいですね。ホントに勿体無い。
今回も呉再発見。ヘリテージな建物なども、もっと大切にして行きたいですし、何より、広地域でもヘリテージなモノを探してみたいです。
で、次のイベントは、3月2日に大和ミュージアムで開催されるフォーラムです。
こなきは当然行きます。是非、行きましょう、行きましょう。
呉のヘリテージ(近代化遺産)を探す旅。今回が5回目の実地調査じゃ。
2008年1月28日。am9:30に呉中央桟橋ターミナル1階ロビーに集合。
ちょっと出遅れた(汗
いつもの呉駅西の駐輪場に自転車を停め、急いで桟橋ターミナルに向かうと、もう既に沢山の参加者が集まっちょる。
いつものお馴染みさんの顔も多いが、今回は総勢52名(?)と、かなりの大人数。
船から呉市を眺め、大崎下島まで行き、御手洗で下船&散策。倉橋まで回り込んでから帰ってくると言う豪華コース。しかも、高速艇をチャーターするとなりゃ、そりゃ行く人多いわねぇ~。
am10:00中央桟橋から高速艇に乗り込みます。後ろに見えている潜水艦は、すっかり有名になったてつのくじら館。江田島航路と間違って乗り込もうとする人もおったw。
本日のツアーは、ガイドが素晴らしい!!具体的にココでお名前を披露して良いのかが分かりませんが、3名の方が代わる代わるにとても丁寧で分かりやすいガイドがあるんよ!
桟橋を離れた早々、IHIの建造中タンカーに最接近です。IHI、古い方には「呉造(くれぞう)」との言い方が馴染み深いかも。呉駅の方から見えているタンカーが左側のヤツ。これが300メートル以上の長さがあるらしいが、かの戦艦大和の全長は263mらしい。大和よりもこのタンカーはデカイのかっ!!
その大きさに圧倒されます。
次は、IHIに隣接している自衛隊の艦艇です。軍事関係に詳しい人なら、これらの画を見て沢山語れるんだろうけれど、オイラは全然ワカランです。この後、係留している潜水艦にも、メチャ接近!!こんなところに入り込んでもいいの!?ってところまで船が入っていきます。
その後は…
あぁ、見えてきた…休日には、あんまり見たくない光景。だけれど、いつもは丘から見てるから、海側から見るのも新鮮じゃったワ。ここも戦時中は呉海軍工廠製鋼部だったから、米軍からの空爆がとても激しい場所だったとの説明があった。へぇ~。
音戸の瀬戸を過ぎて、警固屋ドックが見えてきました。船は急速に速度を上げて下蒲刈方向に向かいます。
広湾のかなり沖を通過します。王子製紙(昔の東パル)の煙突が良く見えるね。今日は風が強いす。
船は本土から下蒲刈に掛かる、安芸灘大橋の下をくぐります。
いつもはこの橋をロードバイクで渡ってんのよね。当然、下から見たのは初めて。
上蒲刈の横を通過する際に、上蒲刈~豊島に掛かる工事中の豊島大橋が見えた。
am11:15 船は大崎下島の御手洗桟橋に到着っす。一同、下船。
いゃ~、恥ずかしながら…実は大崎下島って初めて来たんよね。(当然、大崎上島も行ったこと無いorz)
未知の島、探訪ーッ!!(一人盛りあがり=恥)
大崎下島の良いところは、桟橋降りてスグが観光スポットなところ。まぁ船の交易で栄えたところだから当たり前っちゃあ当たり前なんじゃけれど、歩いて2分もしないうちに、ここは日光江戸村!?ってほどの町並み。しかも、この家々が今も生活住居として使われているってんだから、これまた素晴らしい。
現地のガイドさんの話に聞き入るヘリテージメンバー一行。
少し歩くと石造りの鳥居が見えてきた。「御手洗天満宮」である。かの、菅原道真公がここの井戸で手を洗ったから「御手洗」との地名が付いた(諸説あるらしいが)との説もあるらしい。
ガイドさんは沢山説明したいんだけれど、どうも船の時間が決まっていて、あんまり長居は出来ないらしい。
足早に移動し、若胡子屋(わかえびすや)跡の建物に到着。昔の遊郭じゃね。かなり補修しているみたいじゃけれど、立派な建物です。御手洗の往時を偲ばせます。
内部も見学可能。なんか懐かしい雰囲気。講堂というか集会所と言うかに改装されているが、内部の装飾はとってもレトロ。遊郭2階部分を全部抜いて、このようなホール状になったとのこと。下の画、中央ちょっと右側、壁と壁の隅に小窓のようなガラス張りの部分がある。
そのガラス張りの部分がコレ。何だか、文字が書いてあるけれど読めない。
この部分は遊郭時代の壁紙らしいのだが、「お歯黒伝説」と言うものかあるらしい。
リンク先のページでは、かなり簡単に説明されちゃってるけれど、ガイドさんの話はもっともっとおどろおどろしいものでした(怖
のた打ち回る、血のついた手で壁紙に触った手形が現存しているらしいが…
アナタは見える!?
若胡子屋を後にして、町並みを歩きます。
どーよ、このレトロな町並みは!!竹原や倉敷とほぼ一緒ですな。
お寺に来た。ココは大東寺。残念ながら一休さんはおいでではない。
境内には立派なクスノキがある。ファインダーに入りきりません。
根のうねりがスゴイ…
本堂の中にお邪魔します。
ここも、伝統を感じる内装であるが、特に説明されていたのが欄間である。
頭が人間、体が鳥。「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が彫り込まれている。
大東寺を後にし、次に訪れたのは「乙女座」。レトロな映画館といった感じの建物。
乙女座の内部。みかん出荷が最盛期の頃は、みかんの選果場に落ちぶれていたらしいが、改装されて当初の様子を再現したものらしいが、レトロ感十分です。
振り返ると、二階席もある。
笑点のテーマが聞こえて来そう…
御手洗、現地ガイドの方。
ごめんなさい、お名前失念。
この後、参加者全員でお弁当を頂いて、御手洗にお別れ。
再び高速艇に乗って、倉橋島方向に向かいます。
向かうは倉橋島、亀ヶ首の 旧海軍工廠大砲試射場跡です。
以前に訪れたことがあるこの場所ですが今回は海上からの視察です。
海上からだと単なる平地ですね。良くワカンナイや。撤収!!
間もなく、倉橋島界隈の採石場が見えてきました。
何とデカイ採石場や!山ひとつ削ってるやん!!
続いて、塩の島で有名な三つ子島に来ました。
メキシコから輸入した工業用の塩(ナトリウム)が山積になってます。
塩の山の横には、戦時中の倉庫か何かの遺構が残ってます。
いよいよラスト。呉湾に浮かぶ小麗女島。呉から江田島に行くフェリーで近くを通るよね。
灯台だけがある小さな島です。
小麗女島に隣接する、大麗女島。こちらはちょっと大きくて、弾薬庫か何か良く分かりませんが、トンネル状のモノが7つほど見えます。
探検してみたいですねぇ~。ハイ。無理ですけれど..
この後、呉港に帰って来ました。
ん~、御手洗はヘリテージよりも、もちょっと時代が古いね。近代化遺産ってのとはちょっと違うと思うけれど、瀬戸内の歴史探訪って言う意味では、とっても楽しめたよ。
あと、船内でガイドを受けたんだけれど、ここら辺の島の山々には砲台跡が沢山あるとのこと。
呉湾の艦艇や工廠を守ってたんだね。
やっぱり、呉のヘリテージって海軍とは切っても切れない縁があるんよね。ソレは良いとか悪いじゃなく、呉に海軍が来たからこそ、今の呉がある訳じゃない。
だから、呉はそのことをもっと誇りにしていいんだと思う。佐世保や横須賀と比べて呉のスケールがデカイのか小さいのかは知らないけれど、呉のいいところを先ずは住んでいる人から認め誇りに思うことから始めるのが大切なんじゃないかな。
アナタの身近にも、普段の風景だから気がつかないけれど、実はヘリテージなモノが沢山あると思うんよ。
広にも、まだまだ沢山ある。ホームページではまだ公開してないけれどね。
ってことで、アナタの身近なヘリテージをケータイで撮影して応募しよう。
呉ヘリテージでは、今、「街角ヘリテージ」としてケータイフォトコンテストやってます。手軽に撮影して写メするだけで、豪華商品が当たるかも!!
広駅前の「男の勝負缶」自販機ネタは随分と以前に書いたけれど、その後の広のオモシロ自販機ネタを2つ。
先ずは、国際大学近くの自販機。ルフランって名前のカラオケ喫茶の店先に設置されている自販機。
真っ赤なボディに [POTATO BOY]のキャッチが。イモ男??下の方には「ぽてパリくん」とも書いてある。
『「パリッ」と心地よいひととき あなたの街の 小さなおやつ工房』ってセールストークもナウい。
で、肝心の売られている商品。左から…
チップスター うすしお味 120円
チップスター チーズオニオン 120円
プリングルス サワークリームオニオン 120円
プリングルス フレンチコンソメ 120円
ブルボンチョトス チョコレート 130円
ブルボン チョコあ~んぱん 100円
高いんか、安いんかは、ワシはワカラン。
ま、お菓子の自販機じゃね。
ご自分で買い求めたい方、場所はコチラ。ワシは買わんかったから、買った人、レポ頼む!!
次いこ、次。
下のこの画像。広人ならどこだか、一瞬にしてワカルね。
ジャスコの横の道を商店街に抜けたところにある、澤田屋さん。
その店先に、目的の自販機はある。
『ラーメン缶 売ってます!!』とのPOPが踊る自販機。
ラーメンどんぶりをイメージさせる「あの絵柄」もインパクありあり。
売っている商品のレパートリーは広い。
リポD、ラーメン、おでん、筑前煮まであるある。詳しく書くと…
リポビタンD 130円
チオビタ ドリンク 100円
ネスレ エアロ 200円
ネスレ キットカット 200円
札幌らーめん缶 冷やし麺 350円
屋台の味 とんこつラーメン 350円
火の国うまか みそラーメン 350円
黒豚横丁 しょうゆラーメン 350円
こてんぐ 中華そば 300円
こてんぐ カレーうどん 300円
肉じゃが 300円
筑前煮 250円
こてんぐ おでん 300円
銚子風おでん 300円
ライバル商品である、リポDとチオビタを並んで売る勇気!!
しかもおかず系缶詰。おぉ、今夜のおかずも調達可能かっ!?
おでん缶は秋葉原でメジャーデビュー果たした商品だが、とうとう広までドサ周りか。
詳しい場所はコチラ。 食べた人、レポ頼む!!
その後の個人的感想
以下、自分の気持ちを整理するために書き連ねてみます。
多分、読み終わった後で暗ぁ~い気持ちになってしまうと思うので、それが嫌な方は読まないことをお勧めします。
木曜日に目撃した事故の様子。あの時目にしたものがその後、アタマから離れなくてね。あれから、ずーっとあの時のことを思い返しては、その時の様子とか、自分のとった行動は正しかったのかを、ずーっと自問自答してます。もう何度も何度も。で、こんなことをココで書くのもどうなの?って気もあったんだけれどね。
ここのブログにもコメント頂きましたし、mixi日記へも多数のコメントを頂きました。みんな、ありがとね。
そのコメントの多くが言うところは、1)お子さんに怪我が無くてよかった、2)こなきはちゃんとゴメンナサイを警察官に言わせたのはエライ。この2つかと。
1)のお子さんに怪我が無くてよかったの点については、本当にその通りだと思うんです。返す返す思い返しても、無傷だったのは不幸中の幸いだったのかとも思えるんです。
もしも、もうあと20センチほど道の真ん中に出ていたら。
もしも、パトカーを運転をしていた警官が、あと0.5秒でも子どもの発見が遅かったら。
クルマの側面ではなくバンパーに当たって、きっと大変なことになっていたでしょう。
だからこそ道でつばえている子どもたちに対して、自分がひと言掛けてあげることが出来ていたら、何ごとも起きなかっただろうに。って。(悔
2)のこなきはちゃんとゴメンナサイを警察官に言わせたのはエライ。ってところですが、実は、あの日の日記では、ダラダラ長くなるから書かなかったのですが、それは傍目八目と言うものです。
事故を目前で目撃しても、自分は被害者でも加害者でもない。第三者だからこそ、その時の状況を冷静に見ることが出来た。と、そういうことです。
で、傍から見ていたのですが、警官がこのような状況下では、どのような行動を取るのかが非常に気になりました。いつもは事件事故を第三者の立場から扱うプロフェショナルが、一転、当事者となった場合にどのような行動を取るのか。
とっても不躾ではありますが、彼らを観察させて頂いてたのです。
だから、クルマから降りてきて来た警官の仕草は、かなり観察させてもらった。(悪いね)
当日の記事にも『しばらくしてパトカーから警官二人が降りてきた。』と書きましたが、スグにはクルマから出てこなかった。どこかに連絡してたのか、二人で相談してたのか定かでは無いが、なかなか出てこなかった。
目の前の子が跳ね飛ばされると言う非日常の事態に、ワシ自身も初めは動揺してたから、短時間の出来事を長時間に感じたってのもあるかとは思うが、感覚的には1分近くは出てこなかったと記憶してる。
普通、例えばワシが万一、子どもを撥ねてしもーた場合、一目散にクルマから飛び出して子どもの所に行って、大丈夫か!怪我はないか!!って焦るじゃない。
その焦った様子ってのが全然感じられなかったのよ。ま、アスファルトに横たわってた訳じゃないから、焦らないんだろうけど、まるで自分らは、事故現場に後から到着した警官のように普通なのよね。沈着冷静って言う解釈も出来るんだろうけど、ちょっと一般人感覚からは信じられなかった。
で、子どもに大丈夫?怪我は無い?とは聞いたものの、すぐ直後から、名前は?住所は?何歳?って聞き始めたのよ。冷静に。
違うやろ!順番が違うやろ!アンタら、ナニ様って!!
先ずは、『大丈夫か!怪我は無いか!ごめんね、痛かったね。』ってなぜ言えない!!
そこの部分だけが、ホントにその部分だけが許せんのよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ワシ、病院つれて行ったら?って言ったけれど、サラッと聞き流された風だし。だから、どの場面で謝るのかな?ってずーっと聞き耳立てたんだけど、そのまま事後処理に入っちゃったのよね。
だから親御さんが来て、子どもさんが落ち着いた様子の時に、そっと耳打ちして「ねぇボク。あの警察のオジサンのうち、どっちかでもボクにごめんね。って言った?」って聞いたんよ。
ボクはちょっと小首を傾げるだけで何も言わなかった。
謝ってないな。
だから、最後の最後に、言ったんよ。
『最後にひとこといいですか。撥ねてしまった、アナタはこの子に謝ったんですか?』って。
閑話休題
金曜日に会社の勤務中も、その日のことをずっと考えてた。
子どもって飛び出したりして当たり前ってのは、確かにあるよね。だから大人の側が気をつけてあげなければならんよね。
もしも、あのクルマがファミリアじゃなく、トラックだったら。
もしも、自分の子が目の前で…
もしも、もしも…
って考えてたら、子どもの安全って周囲の大人が気を使ってあげなくちゃならないよね。
で今日、自分のクルマで現場を走ってみた。
弁天神社の方から商店街に入り、現地が近づく。その地点のスグ前には電柱が立っている。そして、子どもが出てきた横道は、走ってるクルマからはとてもわかり難い。両サイドを壁が囲ってて、知らない人はそこに道があるとは思わないだろう。確かに危険な脇道ではある。
あー、気を付けなきゃね。
って、現場を通り過ぎ行くと速度制限の標識が立ってる。丸に30って!?
え
この前「35キロほどで運転してた…」って証言してたよね。(マジ汗;