粗食の日

3.11の震災以降、我が家でできることは何だろう…と、言うことを話し合ってきたが、くるぱん発案で募金することにした。
継続的に。

週に1回、夕食を粗食としてそのおカネを月に1回、給料日に日赤に寄付するんだ。
日赤のサイトに行くと、クレジットカードでも寄付をすることができる。今日で累計2回目を行った。

1回あたりはそんなに大した金額じゃないけれど、1年12回分をトータルすると…

あのホイールが買えるゾ!!
しかし、今は寄付だ。

街角とかでやってる寄付には申し訳ないが一度も寄付したことないけれど、ダイレクトに日赤に入れることで、中間の手間を省くこともできるし。

ってことで、当面は月に一度の寄付を継続して行くのが「我が家での出来ること」とした。

震災に対するこなきのおもい

この話はもう少し先で書くつもりでしたが、経緯上この時点での解釈で書きます。
また、頂いたコメントへのお返事の意図を超えての記述もありますのでご容赦ください。しかも重い内容です。

(前回のコメント欄からの続き)

他方、
確かに、地震を契機としたその後の災害について、私はここのブログで明確な自分の思いを書いていません。
日々の状況は、ちょっとね?さんのように、自分の眼で見てきて、その様子を体験してきた方に比べれば、TVや新聞のメディアで伝えることが可能な範囲内の情報(量ではなく中味)では、私らに伝わるものは、ごく僅かだとは思っています。
でも、私は私なりに色々と解釈し出来ることはやってます。

が…

正直なところ、まだ自分の中で「こんな風に考えてます」とか「こう感じてます」とか「こんな風にやりましょう」と、この場で言えるほど自分の中で消化できていないと言うのがホンネです。
地震を契機としたその後の災害については、メディア類で伝えられている情報をひとりひとりが自分なりに解釈し、それぞれの立場で自分に出来ることをすればいいんだと思ってます。この度のような国民レベルの甚大な災害は、戦災以降経験していない私ら(私を含め、その多くは戦争の様子さえ知らない)にとって、理解・解釈は人それぞれであり、悪事以外はどの解釈も間違いでは無いものの、完全な正解は無いと思っています。

何でもかんでも自粛自粛と言うけれど、この時期に派手なイベントやったらクレームが出るんじゃないかと他人様の眼の色を伺いながらの自粛が多いんじゃないかと感じてます。それは自らが行う自粛ではなく、暗黙に他人に強要されてる自粛=他粛のようなイヤな気がずーっとしています。そこでイベントを取り止めることにより、そこから収入を得て暮らしている人々への連鎖影響を考えたことがあるでしょうか。災害を発端とした自粛ムードによる連鎖倒産。あぁ考えたくも無い。
私らは私らで、日常をキチンと回した上で、その余力の部分で被災地の方々に向けた「何か」を見つけ出せれば良いのではないでしょうか。

あまり大きくは報じられていませんが呉市界隈からも、色んな立場の方が現地に派遣されてるとの話は届いてます。本当に頭が下がる思いです。志願して赴かれる方も、立場上仕方なく行かれる方も居られることでしょう。放射能のリスクもある、伝染病や感染症や、被災者との繋がり、眼を背けたくなる現実…どれもこれも、この場から推測するには無理なことばかりです。
どうぞ、これから行かれる方のご無事と現地での奮闘を願うばかりです。
また、既に帰着された方々には、何事にも代え難い経験をされたことと思います。今回現地へ行かれての経験は、今後のご自身の人生観に大きな影響を与えたであろうことは推測に難くありませんのでどうぞ、その経験を今後の人生の糧として生かして欲しいと本当に思います。

また、大方の予想通り私はかなりへそ曲がりな性質(タチ)なので、ブログ記事のテーマに挙げる話題はなるべく他の方々が書くテーマとは違ったものをあえて選ぶようにしています。だから、時事ニュースに対する個人的な思いみたいな記事は避けてきました。皆と同じを良しとするのではなく、自分は自分でやって行きたいと(そんなだから、職場でも浮くんだ)。この度の災害に関しての皆さんの思いや行動や意識は、多くのメディア同様に、多くのブロガーが既に書かれておられますので、その方々のブログ記事を参照されてください。類似の記事を私が書く気はありません。多くの方が感じていること、書いていることと類似の意識は持ち合わせているとは思っており、更にその上、もうひとつ広い視野から見たときに私らは何をすべきか、これからどーなって行くのかを3.11以降常々考えています。

今回の災害は日本にとって、ある意味とても大きなターニングポイントになることでしょう。復興と言う言葉を使っていますが、元の状態に戻すことが復興では無いような気がしています。その過程で求められるのは、私たち日本国民全員の意識改革みたいな壮大なものもあるんじゃないかと考えています。
一例ですけれど、東日本はこの先数年間は慢性的な電力不足状態が続くことでしょう。大容量の電力を急ごしらえに用意することは今の時点で具体的な目処がついているとは思えません。電力だけはこちらから支援することもかなり難しいと感じてます。しかし西日本にしても、消費電力の2割以上を賄っている原発がこの先増設されるとは思えず、安定した電力がクリーンに安心して供給される可能性は低下したと思ってます。カネを払っても電気が買えない時代の到来です。悲観的になることは無いのですけれど、昼間の電力消費ピークを分散させる努力が求められることでしょう。

その努力は誰かがやるのではなく、電力消費してる私ら全員に課せられることになるでしょう。原発反対!と言うのは簡単だけれど、じゃあ今の家庭の消費電力を3割削減してねと言われた時に、簡単に応じることができるでしょうか。少なくとも我が家は3割削減は相当に困難だと思うし、追い求めるなら多額の投資が必要になることでしょう。
今まで通りのものを求める時代が終わったんじゃないかと感じてます。こんな形で、こんな時期に突きつけられるとは想像もしていませんでしたけれど、もうそのターニングポイントを私らは通過してしまったんじゃないでしょうか。

少なくとも私個人の意識は、その程度に変わってます。

今までやってたエコなレベルでは話にならない。缶ビールのプルタブを集めるとか、ごみを分別回収するとか、無駄な照明を消すとか、そーゆー次元とは比べ物にならないレベルでのエコに血眼にならなくてはならないんじゃないかと。
電力ひとつとってみても、そのくらいな変化になると思ってます。

被災地の復興は数年では終わらないだろうし、それを待たずして私らひとりひとりへの大きな意識変革が求められる時が近い将来来ます。世界のGDP順位がどーのとか、そんなのを求めてる時代は終わったんです。

今はたちまち被災地の方々の生きる道筋を明らかにしてあげることが優先されるべきです。ですが、その先は私たちみんなに求められる大きな大きな変化が来ます。準備してる余裕は無いかも知れません。今回のように。

思いは伝わる?

出現回数が減りつつあるACのTV-CM。
思いは見えないけれど、思いやりは見える

すべての人が持っているやさしい気持ちが、たくさんのあたたかい行為となって世の中に生まれてほしいと願いました。
とACさんは述べている。

が、このCMを見て真反対のことを思い出していた。

ソース(出処)は忘れたのだが、バスを使ったとある実験の話。

シーン:
  ・ふたり掛けのバスの座席が2列ある
  ・それぞれの座席にはひとりずつ座っている

実験:
  ・ひとつ目の座席に座っている人は「俺の隣に座るんじゃねぇ!」と心の中で念じる。
   もちろん、表情や仕草には全く出さない。
  ・もうひとつの座席に座っている人は「私の隣は空いているから、座っていいよ」と心の
   中で想う。
   もちろん、表情や仕草には全く出さない。

  ・乗客がバスに乗ってきて、どちらの空いている座席に座る確率が高いかを複数の被験
  者で繰り返し行ってみた

結果:
  ・かなりの確率で、「座っていいよ」と想っている人の隣に座った

って実験があったそうだ(ソースを探したが見当たらず…)。

確かに思いは見えない。この実験のケースだと、以心伝心って言葉が適しているとは思えないが、こちらが思っていることは、何となく相手にも伝わるってことらしい。
なに?第六感??

翻ってワシだが…
好き嫌いが比較的オモテに出易いタイプの人間なので、気をつけなきゃいかんと常々思う。うん。
嫌ってる相手も、多分ワシのことを何となくでも嫌ってんだどうと思うよ。

ただ、
数年前は、バスの座席でワシの横には誰も座ってくれんかったが、最近は座ってくれるうようになった。
何かを念じていたのを辞めたんじゃなく、体重が80キロ代から60キロ代に落ちて、空いてる隣の座席が広く見えるようになったんが原因じゃと思うんだが。

MCDST合格

この前書いた通り、今日は午後よりMCDSTの試験でした。
ご存知ない方も多いと思うんでちょっと解説しときますが、試験って言っても会場でみんなが並んで一斉に開始するようなもんじゃありません。

試験会場はこんなところです。

試験会場
試験会場

この建物の2階が試験会場。プロメトリックと言う、資格試験の「試験」だけを請け負う業者さんの試験会場です。場所は広島駅前、猿猴橋の商店街の中に、何の気なしにあります。

この2階にPCが13台設置されてましてソレに向かい受験する訳で、画面に表示される問題をクリックで回答して行き、最後に[終了]ボタンをクリックすると、即座に「合格」とか「不合格」と表示されるあっけないモノ。
今回、こなきが受けたのはMicrosoftの資格試験で、簡単に言うとWindows-XPのサポート技術者認定みたいな資格で、有名なMCP資格の最も初級の資格です。

2つありまして、070-271ってコースと070-272コースの両方を合格して、晴れてMCDST資格となる訳ですが…

070-271
070-271

070-271は合格点700点で、獲得は866で合格

070-272
070-272

070-272は合格点700点で、獲得は746で合格
おしゃ(^^♪
小さくガッツポーズです。

今年度中に、MCP合格するように会社に言われてて、3月30日に一発合格果たすってのが、こなきらしいと言えばこなきらしい。
しかもこの資格、今年の6月31日で廃止になる。なんせXPだからね…

こなきの仕事は、PCやネットワークのサポートが主。客先では「お。アンタが来てるってことは、何か壊れてんの? ♪」って疫病神みたいに言われるし、社内ではnon-profitなどと言う差別的な言い方されてる肩身の狭さなので、この程度の資格でも取得して、社内の資格保有者数のカウント+1するくらいの貢献でもしなきゃ日頃の恩に報いることもできんので、こーやって受けてる訳で…

ま、えぇんですがね。
一応、言うこと言うからにはやることはやりました。

ガッコ机1000円

チェーンが伸びてたBianchi – Pista.
昨夜遅くに交換しまして快適になりやした。

チェーン交換
チェーン交換

いつも通り呉越峠をパスって本通6丁目の交番前で停まったときに、ふと目に入った。
屋上にガメラが居るリサイクルショップの店先のモノ。

学校机とイス、セット価格1000円
学校机とイス、セット価格1000円

小学校か中学校の机とイスのセットが1000円。
20セットほど置いてあった。

正直、欲しい!と思ったが、どこでどうやって使う。
どう、何かアイデアある???

ほとひろ卸とロビーコンサート

広まちフォトブック「ほとひろ」。昨日、印刷会社から納品されたと聞いた。
16日納品、17日配布、18日発売。ギリギリのスケジュール!!

本日早速、ほとひろを販売して頂けるお店を巡る。

お店に卸す
お店に卸す

長浜の桂川商店さん、予約だけで既に100部近いと聞いて驚く。
長浜では、他に大野理容院さん、セブンイレブン呉市広長浜店さんにも卸す。

引き続きは、撮影のお世話になった方々に、心ばかりの気持ちで配布。

お世話になった方々に配布
お世話になった方々に配布

あちこち巡りました。
今日だけで全ての方々にお会いできなかったので、また明日引き続き配布します。

夕方からは、市民センターのコンサートに足を運ぶ。

ロビーコンサート
ロビーコンサート

コンサートの前に、被災者の方々に想いを込めて黙祷。
演奏そのものは、鍵盤ハーモニカのアンサンブル。コレは凄いよ!!パーカッションは録音されたものだけれど、鍵盤ハーモニカってすごいね。見た目は「ピアニカ」だけれど、音域(って言うんかな?)は全然違うわ。
ある意味COBA的な…

しかし…
震災直後だからだろうと思うんだけれど、来客者数が少なかった。みんな、思いをはせてんでしょう。コンサート終了後、義援金を箱におとす方々の多いこと多いこと。皆さん、想いは一緒なんやね。

そして、「ほとひろ」ですが…

ほとひろ入手
ほとひろ入手

私の手元にも来ました。
いい出来です、お世辞抜きに。例えば、家具職人が自分で作った家具を出荷する際に「大事にしてもらいなよ」と声を掛ける…昔のCMかよ!!
そんな気分です。皆さんのチカラを合わせて作った写真集。こりゃあ素晴らしい物ができました。

発売場所の詳細は、コチラのチラシをご覧下さい。抜粋すると…

【取り扱い店】
  桂川商店 (広長浜1丁目)
  大野理容院 (広長浜4丁目)
  セブンイレブン呉市広長浜店(広長浜2 丁目)
  シルバーカメラ店 (広商店街中ほど)
  くつろぎカレーease eat (イオン広店南側)
  広市民センター広支所 (JR 新広駅前)
【通信販売】ファックスやメールに必要事項を記入してご注文下さい。
  郵便番号・ご住所・氏名・年齢
  ・連絡先(電話番号)・購入冊数
  マーブル・クラブ事務局「ほとひろ」係あて
  FAX:0823(71)5573
  E-mail:marble-project@ezweb.ne.jp
  ※写真集の代金と郵送料をあわせてご請求いたします。
  5冊以上は送料無料。
  ※商品に同封する郵便振替用紙でお振り込み下さい。

発行部数は1000冊。価格は1冊500円。是非、お手元にどうぞ。写真展の詳細はコチラに

自転車Life展終了

ECOでLOHASな自転車Life展、今日が最終日でした。

午後より盛況
午後より盛況

午前中はぼちぼちな人出だったものの、午後より沢山沢山来ていただき。本当にありがたい限りです。
結局、本日の来客者数は38名。

数的には昨日よりも少なかったものの、中味的には充実した日で、本来のイベントターゲットゾーンの方々が沢山来ていただきました。

試乗も沢山ありましたし、女性の方も(♪)
これを機にスポーツバイクを買われたかた、konaki@hiromachi.com 宛てに是非連絡ください。

一緒にビギナーライドを始めましょう。

そして、今回のイベントを記念しまして、こんなモノをギャラリーに残させて頂きました。

千社札w
千社札w

イワユル千社札です。
視覚的に迷惑にならないよう、天井の梁の奥の方に貼っておきましたので、以後お使いの方は探してみてください。

夜になりまして、西チャレから帰ってきたりゅうじさんが持ってきたもの

初の三本ローラー
初の三本ローラー

3本ローラーです。
初めてのおっかなびっくり3本ローラー。難しいわ、こりゃあ。

何やかんやで色々ありましたけれど、あっと言う間の3日間でした。
来場頂いた方々、ありがとうございました。かねてより、ここのブログを見て頂いてる方々で、こなき逢いたさで来場頂いた方も多く、嬉しいやら恥ずかしいやら。

部員の皆さんも、それぞれに愉しんで頂けたようでなによりでした。
夜には、広交差点の「ぶち」で軽く打ち上げまして、全ての工程を終了~♪♪♪

初の走らない自転車イベントは大成功でした。第2回もいづれ開催したいと思ってますし、より多くの幸せなサイクリストに増えて頂き、この素晴らしき世界を共に味わって頂ければと切に思っております。

新車購入の相談から、ビギナー練習のお供なども、可能な限りやって行きたいと思っております。
引き続き、広町.com自転車部2.0を宜しくお願い致します。

フォトブック「ほとひろ」~長浜 3月18日発売

ぼちぼちと問い合わせが届いておりますフォトブック、タイトルは

ほとひろ

その記念すべき第1集、テーマは長浜

ほとひろ - 表紙
ほとひろ - 表紙

原稿の入稿も終わり、広にある印刷会社さんで、バンバン刷られている最中でしょうw

発売は2011年3月18日(金)。あと2週間となりました。

ISBNコードの付いたような一般書籍ではないので、今のところ本屋さんでは発売の予定がありません。
発売場所も足で稼いだと言うか人づてと言うかで、この「ひとづて」ってのが、今回のフォトブック製作の過程を通して言えることですね。

発売を記念して、写真展を広の中の3箇所で開催します。沢山撮ったのに、惜しくも掲載できなかった写真の数々を展示しつつ、販売も致します(この案内は、また後日)。

人と人との繋がりが薄れて行きつつあるのは大都会だけでなく、この地方の町でも同様です。
そんな薄れ行く人と人の繋がりを、ほんの少しでも深めるきっかけになれば。自分の住む町は、いつもと変わらない景色で何にも無い田舎と思ってるけれど、視点を変えれば素敵な場所や素敵な人が沢山いる。

そんな、見かたさえ変えればいいだけで、お金も時間も掛からず出来る、まちおこし・人おこし。
ごく少数の方だけが奮闘し、多くの人は傍観者ってのではなく、みんなが少しづつ関心を持てる、地元・広にしたい。

そんな、のん気と言うか絵空事と言うか、どーでもえーようなとでも言うか。に、それなりに真剣に取り組んでます。ハイ。
広町.comってドメインを取った時点で、私の運命は決まっていたのかもしれません。これからも、色々と頑張って行きたい。自分の住む町・広のために。たいしたことは出来ませんけれど。

先ずは3月18日。価格は1部500円。発売場所はまた後日お知らせします。
あ、広島県立図書館から蔵書クリエストも来ました。うひゃ~あ(*^^)v

もしもの時のお願い

昨日の記事からのつづき。

前々から自分の中では思いがあったものの、クチに出して誰かに話したことは無かったんだが、先日家族には告げておいたことがある。
もし自分が、路上で息絶えることがあったら以下のことをお願いします。

私が最後の一息を吐き終えた場所に、花や飲み物を供えたり、ましてや小さなお地蔵さんを設置したり、絶対にしないでください

もしその場に血痕が残っているなら即刻洗い流して頂き、何かの破片が落ちているならかけら一つ残さず拾って始末しといてください。私のせいで何か壊してしまったなら掛けている保険金を使ってなるべく早くに原状復帰させてください。
自転車乗りにとって、路上で命を落とすと言うことは恥ずべき事だと、私は思っている。
また逆に、好きなことをしながら命を終えれるんだから、ある意味幸せだとも解釈できる。

どちらの解釈にしても、その場所で誰が死んだかを知らない人にまでも「あぁ、ここで誰かが命を落としたんだね」って悟られるようなことはしないでください。
どうしてもその場で悼みたいがために手を合わせて頂けるなら、ボトルに入れて持参した水をちょろちょろ撒く程度にしといて。

後々残るモノを現地に置いとくなんて、ご近所さんにも迷惑でしょ。

もし、もしも「魂」と言うものが肉体亡き後も残っているものなら、その場にいつまでも留まっていたくない。今日も峠を登り、向かい風に喘いでいる自転車乗りのケツをそっと押してあげたい(ここでのBGMは秋川雅史、千の風になってw)。

言わずもがな、これは私個人がこのように考えていることなので、既に路上に供されているものについて批判をしている気は全く無いですから、これまでも、これから先も。
そんなこと言いながら、実は走れなくなるまで長生きするかも知れないし、明日起きるかも知れない。命のロウソクの炎が消えるタイミングなんて誰だって分からないよね。

でも当然、ヘルメット常用して事故らないような乗り方を自分なりに留意しているのは勿論で、決して死にたいわけでもないし、出来ることなら立派な白髪のサイクリストになってみたいと思ってるんだ。
また勘違いして欲しくないんだけれど、「ソコまで重い思いがロードバイクには必要なんか!」っても解釈して欲しくないんだ。ただ、色んなケースで命の危機を感じたことがあるのも、またしかり。こんな時や、こんな時

だからここに書いたことはあくまで、もしもの時のお願いと言うことで、その時には宜しくお願いします。

road kill

road kill

1 ロードキル:車にはねられて道路に転がっている動物や人の死骸.
2 不快な[おぞましい]もの;無価値な人[もの], 役立たず.

出典:goo辞書

今朝のジテツウ途上で出来事。
常盤橋を渡って左折したスグのところで、猫が轢かれていた。

猫は左端の路肩側に寄って息絶えていたが、腸がびよーんと出ていて、センターラインのとこら辺りまで伸びていた。
げろげろ。流石に朝から気が重い。ピストで踏まんかったけどね。

走り去りながら心の中で唱える、ナンマイダーナンマイダー…
人間とは何とも勝手な生き物よのぉ。なんて思いつつも、自身がクルマで意図せず殺生してしまう可能性もある訳で、万一その立場になったら、自分はどのように対処するんだろうかと悩んだりする。

ロードに乗って遠出することが多いが、road killはしょっちゅう見るよ。
猫、犬は常だし、狐もあるし、粉々に砕かれた亀の甲羅。ありえん角度に首が曲がった狸と目が合った時も意気消沈した。

そう思えば、ドライバーから見れば路上のサイクリストはroad killの対象なんじゃないかとも思える。少なくとも、上の2.の意味くらいは感じてんじゃないか、邪魔者扱い。小田嶋センセのブレーキの踏み方を考える時が来たようだの3ページ以降を読むと、こちらが如何に迷惑な路上の生き物なのか、ほんの少し理解できる。

文末にはこのようにある

 ロードキルの通過法や処理について、普段から考えておけば、いざという時に慌てずに済む。
 もちろん、われわれ自身がロードキルになる可能性もある。
 が、その場合、むしろ話は簡単だ。
 備える必要はない。安心立命。ただ運命に身をまかせて横たわっていれば良い。
 

まぁいい。生き方は死に方と言う考え方もあるし…つづく