土曜日の新聞に出てた。
え゛~!!

そーなん!?
慌てて、今朝の通勤途上で撮影しに行った。
50年かぁ~。実のところもちょっと古いのかと思ってた。

覚えてるのは、この上に広告塔があったこと

確かナショナルの大きなネオンだったと覚えてる。
広からバスに乗り、呉越峠を経て、6丁目のバス乗り場を通過する辺りから、この看板が見えると
街に出た
と、子ども心に思ったものだった。このネオン看板が無くなったのは、バブル崩壊の直後だったかな。
その頃から、本通そのものの店の看板もサラ金のものが目立つようになり…現在へと。
移り変わりと言え、街の様子が変わっちまったなぁ…
シネマが無くなることを残念だとか惜しいとか、ワシは言えない。
子どもの頃に何度か行って、自分の子どもと共にポケモンを見に行ったけれど、もう随分とご無沙汰してた。
残念とか惜しいって言えるのは、本当に映画を愛してちょくちょく通ってた人のクチから言えることじゃと思う。ワシにはその資格は無い。
また街の景色がひとつ変わるんだろう。
俺もこのニュースはちょっとショックじゃったな~。
て、俺もそんなに映画を見る方じゃないんじゃけど、家から結構近かったのもあって、シネマの建物は、俺の小さい頃からの記憶の中に結構残っとるんで、無くなるとなったら、やっぱり寂しいです。
屋上のナショナルの看板が無くなっただけでも結構寂しかったけぇね。
この感覚は、ちょっと前の、商工会議所ビルが解体されて更地になったのを見た時と同じ感覚なんじゃろうな・・・。
私も小学1年生の時、和庄の親戚の家に行くときに、バスからナショナルの大きな広告塔が見えて安心して4丁目で降りていました。ちょっと前は9丁目と言ってたけどね。
映画館は大人が同伴じゃないといけませんでしたよねぇ~、小さい時は。
中で映画放映中なのに「○○さま~」って電話がかかった旨を伝える地声のおばさんがいましたわ・・・煙草の煙とかも^^;
そこにあるものが、無くなるのは、本当に寂しいですが、時の流れなのでしょうかね・・・
呉シネマに行く度に「愛想が悪くていやだな~」と感じていたのですが、それも含めて思い出のあるものが次々になくなるのは寂しいですね。
じつは、小さい頃、家が映画館だったんです。大きな建物だと思っていましたが、大きくなって跡地を見ると「こんなに小さかったんだ」と感じました。
呉シネマ閉館!そうなんじゃ。そりゃ残念じゃのお。色々と思い出深いところなんじゃけど。ただ、設備も古いし、対応も悪いしと、昔から不満はいっぱいあったんよ。昔は、映画上映中に館内に居るお客さんに「○○様~っ!○○様~っ!お電話です」と電話の取次の呼び出しがあったりして、興ざめもええところじゃったし、「ゴースト」のすばらしいエンディングで、テロップが流れ始め、幸せな余韻に浸るその瞬間に、後ろのドアが「バンっ」って感じで開いて、「はい~っ皆様お疲れ様でした~!お出口はこちらです!」と大声で案内・・。そんな映画館としては最悪の思い出もいっぱいですが、初デートの場所だったり、子どもが生まれて最初に一緒にハリーポッターを見に来たり、人生の節目節目の思い出の場でもあったりします。できれば、もっと洗練された映画館として生まれ変わって再登場してくれるとうれしいなあ・・
☆ MAN3 ♪
シネマの建物は外観が特徴的なよね。
商工会議所も、結局更地のまま放置やし。あ、商工会議所の向かいのビルの上にもネオン看板があったよね。確か東芝じゃなかったっけ…
☆ のんさん ♪
9丁目て言ってた頃は知らんのですが新聞記事によると、受付のおばさんは47年間変わってないと書いてあったので「○○さま~」はずーっと同じ人だったんですよ。
映画館の建物は、他に転用するって難しいと思うので、遠くない将来には取り壊しになるんでしょう、多分。
☆ White Noise さん
ご実家が映画館!?もしかして広でですか??
もし広なら、今のジャスコの国道向かいのパチンコ屋のところ?
それとも、新日本造機の正門からずーっと北側に行ったところ(本陣って居酒屋さんの横)にあった映画館??
それくらいしか知らんのですが…まさか大映!!
☆ 大村ケンジ さま
ども、ご無沙汰してます。今年のお正月、大盛の同窓会は盛大だったでしょうか?
電話の呼び出しは知らんけれど、エンドロールを最後まで見せてくれんのは、ワシも「おぃおぃおぃ!!」って思ってた、確かに。
成人映画の大映は結局のところ一度も行った事ないまま閉じられて夢は夢のまま…(笑
そう思えば、シネマ2の方には入ったことがないな。
しかし残念かな今の呉の状況で映画館を再生しても、経営が厳しいと思われます。あの個性的な建物を生かして、何かオモロイものに再生出来ればいいのですけれど、難しいでしょうなぁ~。
大変ご無沙汰しております。
閉館は時代の流れなので、仕方ないでしょうね。
実は初めて親の同伴なし(ガキだけ)で映画を観にいったのが、この映画館でした。小6の夏休みに、同級生と自転車こいで峠を越えて。行きはよかったけど、帰りはヘトヘトでした(笑)。
その後もこれまた友だちと、公開2日目に「E.T.」を観にいったりしましたが(上映開始30分前くらいから、かなりの列ができてました)、高校生になったころからはほとんど利用しなくなりました。
電車賃がかかっても広島市内の映画館で観るようになり、ここへはほとんど足を運ばなくなりましてね。
30年近く前から、正直この映画館には「古くて設備が悪い」という印象があったもので……。
ナショナルの看板は確か青いヤツですよね。よく覚えています。
お書きになられているように、広町に住んでいた人間にとって、この建物を見ると「街に出た」感が非常に強かったです。正月のお年玉持って、親に連れられてクルマで呉の街に買い物に来る時なんか、特にそう実感してました。
このテの建物はつぶしが効きそうにないので、別の施設に再利用するのも難しいんでしょうね……。
それでは、また。
ばろんぶれいく さん
こちらこそ、ご無沙汰していました。
私ら世代はみんな同じ心情だろうと思います。大映のエロ映画の看板を正視できんウブさ、赤い跳ね上げ式のシート、壁の電球照明。
全て無くなってしまいます。
最後に全館探検ツアーとかやって映写機の部屋に入らせて貰ったりなんてイベントあったらいいのになぁ~。