その地図を見ていて、不思議なモノを見つけた。
(以下の画像クリックで拡大表示されます)
長浜と小坪のちょうど真ん中の辺りの山中に神社の記号が書いてある。矢印んトコ。
その神社までは、小坪から山道がつながっているように書かれている。
協議会に参加している、小坪や長浜の方々にお聞きしても、そんなの知らないと言われる。はて??
コレは調査してみなければ。
暖かくなったら歩いて登ってみようと思っていたので、晴天の本日、歩いて行ってきた。
午前10時、中新開の自宅を出発。交差点を過ぎ、長浜方面に向かう。
産業技術総合研究所 中国センターの前。
ここには、瀬戸内海の大型水理模型があることで有名。その前にある石柱は、この場所が広工廠だった頃の門柱(画像クリックで拡大表示)。
往時の様子に想いをはせつつ、更に長浜方面に歩くと「津久茂」地区。
津久茂は谷間になった地形に民家が集まった地区であるが、広工廠に最も近い場所であるから、昔は工廠空襲の流れ弾などが来たんではなかろうか…
ここから峠を登る。長浜へ抜ける県道ではなく、更にその上の道。
その峠の上に来ると、長浜全体が一望できるとっても眺めの良い場所(画像クリックで拡大表示)。
ぃや、いい天気です。瀬戸内海もキラキラと美しい。
ココからは道を下らず、横に、小坪方面に細い道を歩いて行く。
春ですねぇ…
細い道をクネクネと歩いて、長浜の端の方まで来ました(画像クリックで拡大表示)。
遠くに見える山は休山です。
ここら辺で、農作業をされている方に地図を見せながら道を尋ねます。
『スミマセン、この上の辺りに神社か何かがあると、この地図に書いてあるのですが、ご存知ですか?』って。
耳の遠いご高齢のお爺さんは、あるにはあるが道が荒れてて行けない。って言われる。別のお2人は、そんなの知らないと言われる。
ん~…あるんかなぁ~…
あのお爺ちゃんの言葉を信じて登ってみましょう。
この画像の真ん中の山道から、いよいよ本当の山道に入ります。
山道に入って16分。
「たかひこ」も以前にここを訪れているようですw
山道は比較的に歩きやすく、荒れては無いです。
また、斜面の急なところはちゃんと崩落防止がなされており、人の手が入っている様子がうかがえます。
山道を歩き始めて約30分。途中やぶ漕ぎで迷いましたが、ひらけた場所、尾根の上に出てきました。白岳山、野呂山が見えます。
ん~。出ちゃったか…ココまで来る気は無かったんだが…
もっと山の斜面辺りにあるイメージだったのに。
尾根に沿って、東西に山道が延びています。東に行くと小坪方向。
西に行くと長浜方向に戻る感じです。迷いましたが、とりあえず東に行ってみましょう。
10分ほど歩いたでしょうか。先の下の方から学校のチャイムの音が聞こえてきます。正午のようです。小坪がかなり近付いているようです。
このまま行くと、小坪に出るなぁ…どうしよう。ココはどこなんだろう。
そーだ!!現在地をケータイのGPSで確認しよう。
便利な世の中になったもんです。ホントに。
この場所は竹やぶの中で、上を見ても竹で覆われてて空もまともに見えないのに、GPSではちゃーんと確認できてます。スゴイねぇ~。
で、現在地と持って来た地図とを照らし合わせると、神社の場所よりも、はるかに小坪側に来てしまっているようです。戻らなくては。さっきの尾根に出たところで、西に向かうべきだったと分かりました。
尾根沿いに西に進みます。しばらくすると石積みがありました。
戦時中のものでしょうか、田畑のものではない雰囲気です。
ここに来るまでも、何箇所かで石積みを見てきました。
更に西方向に歩いて行きます。イノシシが泥浴びしてる場所も何箇所かありますし、倒木も沢山ありますが、道はなだらかで歩きやすく尾根をゆるやかに登って行く雰囲気です。
12時21分。
林の奥の方に何か見えます。白いモノが…
ここまでお墓参りに来るのって大変じゃない。何で、何で!!
って思いつつ、近付いてみると…
そのお墓の後方に、何か屋根のようなものが見えるじゃないですか。
祠(ほこら)です。
屋根が輝いているのは、ステンレスで葺かれているから。
遂に来てしまいました。地図の神社記号は、この祠のようです。
ちょっと怖い感じもしますが、ここまで来て去る訳にも行きませんので、オモテ側に回ってみましょう。
荒神堂と書かれています。建物はしっかりとしたコンクリート造り、錠前が掛かっている扉の格子はやはりステンレス製。比較的新しいもののようです。
気が付いたのですが、この正面の向き、海側に向いてないんですよ。海を背にしていると言うべきか、白石方面に向いて建てられていると言うのが正しいのではないかと。
ってことは、この祠は長浜や小坪の方々の知らない祠で当然なのか!?
非常に罰あたりなのは承知ですが、格子の中をのぞかせて頂きました。
あ、予め手を合わせましたよ。何て言って良いのか分からないので、たちまち「南無阿弥陀仏…」安芸門徒ですから。
最初に見たときは、御神体が無いのかと思いました。あぁ、もうここからは別の場所に移されたのかと、ちょっと安堵しましたが、良く見ると、御神体は手前に倒れているではありませんか。(御神体と言って良いのかどうかも分かりませんが…)
内部は非常に荒れています。ですが、栓のされた2リットル入りの水のペットボトルも見えるので、やはりここ最近までは誰かがお世話をされているようです。
壁には「荒神堂再建奉仕」と書かれた板にお名前が連ねられております。
89日、72日、7日、6日…
再建されるために、奉仕された日数のようです。
あぁ…私には何も出来ません。御免なさい。
大きなお世話でしたらお許し頂きたいのですが、どうか、この写真を見られてお心当たりのある方、祠のお世話をしてあげて下さい。
最後に手を合わせて、この場を去ることにします。
尾根沿いに、更に西に進んでみることにします。
10分ほどなだらかに登って行くと、何やら少し開けた場所に来ました。
コンクリート造りの丸い遺構。砲台跡です。(画像クリックで拡大表示)
いや、今日はココに来るつもりは全く無かったので、かなり衝撃的です。
3年前に「あらさん」とこの場所を目指して螺山を歩きましたが、あの時はたどり着けなかった場所です。
期せずして、到着してしまいました。先の祠の直後なので、気分的にはかなり沈みます。
丸い砲台跡の遺構は2箇所あります。その2箇所の間は溝のような通路でつながれているようです。
その様子は、こちらに詳しく書かれているのでご覧になられてください。
そちらのページの様子、そのままでした。写真も何枚か撮影しましたが、同じようなアングルなので割愛します。
砲台の遺構に別れを告げ、5分も歩かないうちに目の前に鉄塔出現です。
テレビ中継塔に出ました。
右端の建物は建築途中の地デジ施設のようです。日曜日の今日は作業員の姿もありません。
ここまで来てしまったと言うことは、この先は舗装道を歩いて帰れます。
あらさんと迷った3年前も、ここからスタートすれば良かったんじゃね。
白石を通り、名田のあらさん宅前を通り、広駅の地下道を経て14時半頃に帰宅。
4時間以上、歩きっぱなしなのでちょっと疲れてしまいました。
また、荒れた祠、砲台跡などを見てしまいましたので気分的にもちよっと…ね。
祠のお世話、宜しくお願いしますね。
きっと、荒神さま(って言って良いのか…)がこなきを導いたんだと思います。
こんなになってることを知らせてやってくれ。って。
ってことで、地図の神社記号は確かに存在してました。
恐るべし、国土地理院。
実は、広の中で、もう一箇所気になる場所を先の地図の中から見つけているのよね。
次回は石内方面です。石内方面でお詳しい方が居られましたら、ご一緒しませんか?
2009/3/16 追記:
GoogleMapでこの場所を拡大表示したら、荒神堂と記載されていた。恐るべしGoogleMap。ってかゼンリン、スゲェ!!