Filed under: ヘリテージ
ここんとこ、何かとお疲れのウチの奥さん=くるぱん。
子どもらの中学・高校同時進学、仕事も相変わらず忙しいみたいだし。
ワシばかりがいつも自転車乗って愉しんでばかりで申し訳ないので、今日は重い腰のくるぱんを誘って、午後から御手洗に行ってきた。
御手洗(みたらい)は、2年ほど前のヘリテージツアーで訪れてたし、自転車部で来たこともあった。広からとっても近場にある観光地なんだが、この場をくるぱんは未訪。なんで、ヘリテージでヤマゲンさんの知識受け売りで知ったかガイト役なワシ。
重要なポイントは周ったよ、何はなくとも若胡子屋。

若胡子屋
建物が傾いてきているらしくて、今は中に入れないんだと。残念。おはぐろ伝説のあの手形も見れず…お歯黒事件はこちらに詳しい。
そして、各種メディアで紹介され続けられている新光時計店。

新光時計店
今回は、初めて店内に入らせていただいた。
テレビ、雑誌などでもう何度も紹介されている時計屋さん。古い古い機械式時計を修理できる、日本で最後の一人とまで言われる方なんだ。
修理依頼は全国津々浦々はもとより、各国から修理が殺到し修理待ちが、もう何年分も溜まっているとのこと。スゲー。
とっても気さくな方で、色々とお話頂いた。来週末には県知事も来るんだって。長らくお話しさせて頂いて、お店を後に。
広では珍しくなったコイツともツーショット。

幻のツーショット(爆!!
3時ギリギリの滑り込みだが、脇坂屋さんに入り名物の穴子重を頂く。

脇坂屋さんの穴子重
1人前1,800円也!!
でも、うままーです。ご飯少な目かと最初は思ったけれど、食べ終わる頃には丁度いい腹具合に。キモ吸も付いてま。
乙女座にも入った。
拝観料ちゃんと払ったよw

乙女座
御手洗を散策し、カメラ小僧ならぬカメラお○さんには、とっても多くの被写体が癒しを与えてくれたようで、良く歩いた割には楽しそうでした。
( ´,_ゝ`)ふぅ~
少しは日々を離れ、こうやって息抜きするのもえぇやね。
橋が開通して以降、御手洗地区はとっても身近な観光スポットになった。また、ワシらが、この街並みの美しさや貴重さに素晴らしいと思うことが出来る年齢になったってこともあるんじゃろうね。
帰る途中、ちょっと寄り道。

大崎下島・久比のループ橋
遊星ギアのカズさんから教えてもらった、大崎下島・久比地区のループ橋を偵察しに。
いゃね、ソレが目当てだったなんてことは無いですよ、ホントホント…(軽汗
ループ橋は例の雲雀座の近くから登る、山道のイントロ部分。ここを通り抜けると大崎下島のど真ん中を通って、島の反対側の愛媛県側に出る道やった。
ロードでも走れそうやね。今度アタックしてみますわ。
ってな感じで、子ども抜きでのデトックスな1日でした。
2010年5月29日
ネットを徘徊してて見つけた。
Memories of Korea
http://www.memoriesofkorea.com/?p=70
1枚目の写真は、本通の市電工事中の様子ですね。石畳を貼る様子のようです。
ボンネットバスの背中もレトロ。
2枚目は中通の商店街。「のなか」ってお菓子屋さんって今は無いよね?
3枚目は広の「虹村」若しくは、今の呉商や国際大学がある位置でしょう(多分、後者)。「Britcom Reinforcement Base」の訳がワカラナイですが進駐軍の建物でしょう。
2010年1月12日
広まちづくり協議会に参加してることは、何度か
書いたが、その打ち合わせが行われる会議室に壁いっぱいの大きな広町の地図が掲げてある。
その地図を見ていて、不思議なモノを見つけた。
(以下の画像クリックで拡大表示されます)

- 長浜・小坪の間の神社?
長浜と小坪のちょうど真ん中の辺りの山中に神社の記号が書いてある。矢印んトコ。
その神社までは、小坪から山道がつながっているように書かれている。
協議会に参加している、小坪や長浜の方々にお聞きしても、そんなの知らないと言われる。はて??
コレは調査してみなければ。
暖かくなったら歩いて登ってみようと思っていたので、晴天の本日、歩いて行ってきた。
午前10時、中新開の自宅を出発。交差点を過ぎ、長浜方面に向かう。
産業技術総合研究所 中国センターの前。
ここには、瀬戸内海の大型水理模型があることで有名。その前にある石柱は、この場所が広工廠だった頃の門柱(画像クリックで拡大表示)。

広工廠の門柱
往時の様子に想いをはせつつ、更に長浜方面に歩くと「津久茂」地区。

津久茂
津久茂は谷間になった地形に民家が集まった地区であるが、広工廠に最も近い場所であるから、昔は工廠空襲の流れ弾などが来たんではなかろうか…
ここから峠を登る。長浜へ抜ける県道ではなく、更にその上の道。
その峠の上に来ると、長浜全体が一望できるとっても眺めの良い場所(画像クリックで拡大表示)。

長浜全体を眺望
ぃや、いい天気です。瀬戸内海もキラキラと美しい。
ココからは道を下らず、横に、小坪方面に細い道を歩いて行く。

黄色い野花
春ですねぇ…
細い道をクネクネと歩いて、長浜の端の方まで来ました(画像クリックで拡大表示)。

別の角度からの、長浜全体の眺め
遠くに見える山は休山です。
ここら辺で、農作業をされている方に地図を見せながら道を尋ねます。
『スミマセン、この上の辺りに神社か何かがあると、この地図に書いてあるのですが、ご存知ですか?』って。
耳の遠いご高齢のお爺さんは、あるにはあるが道が荒れてて行けない。って言われる。別のお2人は、そんなの知らないと言われる。
ん~…あるんかなぁ~…
あのお爺ちゃんの言葉を信じて登ってみましょう。

長浜の山道
この画像の真ん中の山道から、いよいよ本当の山道に入ります。

たかひこ
山道に入って16分。
「たかひこ」も以前にここを訪れているようですw

比較的歩きやすい山道
山道は比較的に歩きやすく、荒れては無いです。
また、斜面の急なところはちゃんと崩落防止がなされており、人の手が入っている様子がうかがえます。
山道を歩き始めて約30分。途中やぶ漕ぎで迷いましたが、ひらけた場所、尾根の上に出てきました。白岳山、野呂山が見えます。

尾根に出ちゃいました
ん~。出ちゃったか…ココまで来る気は無かったんだが…
もっと山の斜面辺りにあるイメージだったのに。
尾根に沿って、東西に山道が延びています。東に行くと小坪方向。
西に行くと長浜方向に戻る感じです。迷いましたが、とりあえず東に行ってみましょう。
10分ほど歩いたでしょうか。先の下の方から学校のチャイムの音が聞こえてきます。正午のようです。小坪がかなり近付いているようです。
このまま行くと、小坪に出るなぁ…どうしよう。ココはどこなんだろう。
そーだ!!現在地をケータイのGPSで確認しよう。

ケータイのGPSで現在地を確認
便利な世の中になったもんです。ホントに。
この場所は竹やぶの中で、上を見ても竹で覆われてて空もまともに見えないのに、GPSではちゃーんと確認できてます。スゴイねぇ~。
で、現在地と持って来た地図とを照らし合わせると、神社の場所よりも、はるかに小坪側に来てしまっているようです。戻らなくては。さっきの尾根に出たところで、西に向かうべきだったと分かりました。
尾根沿いに西に進みます。しばらくすると石積みがありました。

尾根沿いにある石積み
戦時中のものでしょうか、田畑のものではない雰囲気です。
ここに来るまでも、何箇所かで石積みを見てきました。
更に西方向に歩いて行きます。イノシシが泥浴びしてる場所も何箇所かありますし、倒木も沢山ありますが、道はなだらかで歩きやすく尾根をゆるやかに登って行く雰囲気です。
12時21分。
林の奥の方に何か見えます。白いモノが…

突如、お墓が!!
お墓です。
怖!!
なんで、こんな山の中にお墓があるの!!
ここまでお墓参りに来るのって大変じゃない。何で、何で!!
って思いつつ、近付いてみると…
そのお墓の後方に、何か屋根のようなものが見えるじゃないですか。

祠
祠(ほこら)です。
屋根が輝いているのは、ステンレスで葺かれているから。
遂に来てしまいました。地図の神社記号は、この祠のようです。
ちょっと怖い感じもしますが、ここまで来て去る訳にも行きませんので、オモテ側に回ってみましょう。

荒神堂
荒神堂と書かれています。建物はしっかりとしたコンクリート造り、錠前が掛かっている扉の格子はやはりステンレス製。比較的新しいもののようです。
気が付いたのですが、この正面の向き、海側に向いてないんですよ。海を背にしていると言うべきか、白石方面に向いて建てられていると言うのが正しいのではないかと。
ってことは、この祠は長浜や小坪の方々の知らない祠で当然なのか!?
非常に罰あたりなのは承知ですが、格子の中をのぞかせて頂きました。
あ、予め手を合わせましたよ。何て言って良いのか分からないので、たちまち「南無阿弥陀仏…」安芸門徒ですから。

荒神堂の中を拝見...
最初に見たときは、御神体が無いのかと思いました。あぁ、もうここからは別の場所に移されたのかと、ちょっと安堵しましたが、良く見ると、御神体は手前に倒れているではありませんか。(御神体と言って良いのかどうかも分かりませんが…)
内部は非常に荒れています。ですが、栓のされた2リットル入りの水のペットボトルも見えるので、やはりここ最近までは誰かがお世話をされているようです。
壁には「荒神堂再建奉仕」と書かれた板にお名前が連ねられております。

荒神堂再建奉仕
89日、72日、7日、6日…
再建されるために、奉仕された日数のようです。
あぁ…私には何も出来ません。御免なさい。
大きなお世話でしたらお許し頂きたいのですが、どうか、この写真を見られてお心当たりのある方、祠のお世話をしてあげて下さい。
最後に手を合わせて、この場を去ることにします。
尾根沿いに、更に西に進んでみることにします。
10分ほどなだらかに登って行くと、何やら少し開けた場所に来ました。
コンクリート造りの丸い遺構。砲台跡です。(画像クリックで拡大表示)

螺山砲台跡
いや、今日はココに来るつもりは全く無かったので、かなり衝撃的です。
3年前に「あらさん」とこの場所を目指して螺山を歩きましたが、あの時はたどり着けなかった場所です。
期せずして、到着してしまいました。先の祠の直後なので、気分的にはかなり沈みます。
丸い砲台跡の遺構は2箇所あります。その2箇所の間は溝のような通路でつながれているようです。
その様子は、こちらに詳しく書かれているのでご覧になられてください。
そちらのページの様子、そのままでした。写真も何枚か撮影しましたが、同じようなアングルなので割愛します。
砲台の遺構に別れを告げ、5分も歩かないうちに目の前に鉄塔出現です。

螺山のテレビ塔
テレビ中継塔に出ました。
右端の建物は建築途中の地デジ施設のようです。日曜日の今日は作業員の姿もありません。
ここまで来てしまったと言うことは、この先は舗装道を歩いて帰れます。
あらさんと迷った3年前も、ここからスタートすれば良かったんじゃね。
白石を通り、名田のあらさん宅前を通り、広駅の地下道を経て14時半頃に帰宅。
4時間以上、歩きっぱなしなのでちょっと疲れてしまいました。
また、荒れた祠、砲台跡などを見てしまいましたので気分的にもちよっと…ね。
祠のお世話、宜しくお願いしますね。
きっと、荒神さま(って言って良いのか…)がこなきを導いたんだと思います。
こんなになってることを知らせてやってくれ。って。
ってことで、地図の神社記号は確かに存在してました。
恐るべし、国土地理院。
実は、広の中で、もう一箇所気になる場所を先の地図の中から見つけているのよね。
次回は石内方面です。石内方面でお詳しい方が居られましたら、ご一緒しませんか?
2009/3/16 追記:
GoogleMapでこの場所を拡大表示したら、荒神堂と記載されていた。恐るべしGoogleMap。ってかゼンリン、スゲェ!!
大きな地図で見る
2009年3月15日
広まちづくり協議会、前回のワークショップに続き今日は2回目のイベントです。
今日は考広学(こうこうがく?)。考古学を文字って、広について考えるって意味のコトバですね。
今日は実際に広のあちこちを歩いてみて、広町の再発見をしようとの趣旨です。ですが…
ですが、息子の通う小学校では学習発表会。おぉ、見事なスケジュールバッティングです(泣
発表会を見終わってからの途中参加となりました。
とは言え、10時からのイベントに10時半からの参加が出来、中新開のヤマザキYショップ前で合流。

なべタクシーのマイクロバス1台をチャーターして、参加者15名ほどの町歩きイベントです。
実は、先週に引き続きまことにせん越ながら、今回もこなきはガイド役を務めさせて頂きました。
諸先輩が多くおられるのに、申し訳ない限りです。
先ず向かったのは石内方面。
芳ヶ淵隋道ではお芳の話をしつつ、東広島呉道路の工事現場を左手に見ながら、二級峡に向かいます。
二級峡トンネルの手前を右折し狭い旧道を通ります。
こちらで紹介している通り、呉市史跡の常夜灯を車中から眺め、二級峡に到着。
バスを降りて、つり橋のところまで行ってみます。
今日も橋の上からの眺めは勇壮です。

ダム方向はこんな感じ。

初めて訪れた方や、何十年ぶりと言う方。参加者それぞれに楽しんでおられ何よりです。
階段が急で、お年の方にはキツかったですね。ごめんなさい。
引き続き、町田に向かいます。ここでのお目当ては、湧水の洗い場です。
今日は幸いなことに、この洗い場で実際に洗い物をされている方が居られ、参加者の皆さんからも色々と直接質問などさせて頂きました。突然の訪問に驚かせちゃってごめんなさい。
でも、色々と面白い話を聞けました。
また、参加者の年配の方からは、ここの水を使って酒造が行われていたとの話を聞きました。
これは初耳です。古新開にあった、西原酒造さんと言う酒造元では、ココの水を使ってお酒を造っていたそうです。今は西原酒造さんはありませんが、広の水で作られていたお酒があったとは知りませんでした。
私自身、とてもいい勉強になました。
そろそろ時刻はお昼前。バスはオークアリーナに向かいます。
大型遊具は改築中ですね。

広公園敷地内のローソンの話をして、広警察の前を過ぎて広交差点に向けて歩きます。
お昼ごはんは、パチンコ・クロネコの横にあるスマークさんです。
本当は日曜日はお休みのところ、無理言って開けて頂いたとのこと、本当にありがとうございます。
スマークのランチはウマウマです。

こりゃオナカもいっぱいになりますワ♪
初めてスマークさん訪れました。いい感じのお店ですし、食事も美味しい。
広でランチと言えばスマーク。お世辞抜きに是非是非オススメのお店です。
おなかも一杯になりました。アリスの前を歩いて、本町の昔、映画館があった場所を過ぎ郵便局前から再びバスに乗ります。
次に向かうのは長浜。専徳寺さんを訪ねます。

今日の参加者の中に長浜の地元の方が居られるので、長浜の紹介はお任せです。
胡子湯さんの前を歩き、長浜の町並みをほんのちょっとですが散策。
時間もあまりありませんので、急いで最後のポイント、大空山に向かいます。
ここでのお話はヘリテージツアーの時のGOさんのお話をそのまんま受け売りです。
砲台跡の話、弾薬庫の話、偉そうに話しましたが全てGOさんのお話のままです。
ゴメンナサイ。

今日は天気も良く、展望台からの眺めは最高です。
広の町が良く見えますし、瀬戸内海の向こうには四国も見えます。
15時。
広市民センター4階くれ市民協働センターに戻り、まとめを行って解散。
駆け足で過ぎて広く浅くでしたが、広町のあちこちを再発見できて頂けたならガイドした甲斐があります。
私も久しぶりに訪れた場所もあるし、新しい話も聞けたり、年長の方からは貴重な話も沢山聞けました。参加して本当に良かったです。
広工廠時代の話を良く知っておられる方々の話、とっても貴重です。今のうちに沢山の話を聞きだして保存しとかなきゃいけませんよ、本当に。
さて、考広学。
次回は12月14日、歴史・郷土史を広図書館の館長さんからお話頂きます。
次回も期待できそうですよ。
2008年11月30日
半年ほど前だったかな…
ヘリテージツアーでご一緒した、GOさんのサイト”希少資料艦艇研究所“の掲示板で、ある興味深い書き込みを見つけた。
その書き込みに書かれているリンク先には、昭和20年(1945)の広町の地図が掲載されていた。
が、ボケててリンク先を見失ってしまったので、再度GOさんに尋ねてみた。どこでしたっけ?
ココだよ。と即答してくれた先は”The University of texas”。その中のJapan City Plans。
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/
全国の都市の名前の中に混ざっている Hiromachiの文字。
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/txu-oclc-6565568.jpg
1945年に米軍が作成したのであろう、広町の詳細な地図である。
縮尺は1:12,500。上部には For use by War and Navy Department Agencies only Not for sale or distribusion”って書いてある。正に軍事用である。
この地図を、ここ数日ずっと眺めているのだが、見れば見るほどに興味深い地図である。
1) 虹村の地下式重油タンクは、こんなにも沢山あったんやな。その沖には飛行場もある。
2) 広東大川、広西大川とまだ呼ばれている。
3) 大空山は”横路山”と呼ばれている。
4) 市電(路面電車)が呉越峠から長浜まで行ってる。
5) 国鉄の引込み線は今の王子製紙、旧・広工廠までつながっている。
6) 吉松山の山頂まで、砲弾を運ぶための道路が続いている。
7) 仁方はまだまだ埋め立てが進んでいない。
広工廠敷地内の建物は、こと細かく用途が記載されている。
9) 阿賀海岸通りのガスタンクは、この頃にはもう存在していた。
10) 阿賀駅前(現在の藤三、阿賀店のあたり?)は、市電の車庫があったのか?
11) 本町郵便局の位置は昔から変わってないのか?逆に、広の本局の郵便局のところは川。
12) 警察署は西大川沿いの中新開にあった?今の県警官舎のところがそうなの??
13) 平野部の多くは水田じゃが、周囲の山の斜面もかなり水田が多い。どれも棚田かな。
14) 名田の入り江が奥深い。現在の寿工業は戦時中のまま変わってない?
などなど、書き出せばきりがない!!
本当に見れば見るほどにとっても興味深い地図です。この地図を見ながら、同じ場所の現在の姿と重ね合わせて、当時との変遷などに思い巡らせてみるのがとっても楽しいです。
この地図をご覧になられて、何か気が付いたことがあれば、コメントで教えてください。
2008年11月29日
連休中日(なかび)の11月23日。
平成20年度 ユースカレッジ「くれのまちを再発見!」イベントが開催されたので、こなきも行ってきました。
今回のこなきは、街歩きのナビケータ役です(^^♪
このユースカレッジは4回にわたって行われる街発見のイベントで、昨日はその2回目の開催日。
18-30歳をターゲットとした若い人たちをメインにしたもので、この日も大学生さんを中心に若い方々が参加。
集合場所である広支所では、広地区教祭も開催されている。

裏手の駐車場では、呉港高校によるトーマスの乗り物や…

東郷さんの肉じゃがも味わえるイベントが開催されている。
ユースカレッジは3階の会議室にて集い、先ずは広島路上観察倶楽部の山崎学さんによる街歩きのポイントのお話。

路上観察のあかさたなの話は、こなきも想う所やはり一緒である。深く同感。
引き続き、山崎班と、こなき班の2班に分かれて、街歩きに出発!!
与えられた時間が1時間半と言う事で遠くまでは行けないので、こなき班は支所界隈を歩くことを予定してたのよ。(他方の山崎班は、常盤橋の方まで足を伸ばされたようである)
先ずは、支所前のソテツについて話し、引き続きらーめん○の裏手にある「ます寿し」さんの前に至る。

ココでは、広の巻き寿司4店の話をする。
ここの店先にある貼り紙が参加者の目に留まる。

ピンポンしてね
との表現が可愛い。
続いては広東大川沿いの松、そして、その場所の昔の様子。
川沿いに下って行き、王子製紙が見える場所から、広工廠の話と今でも工廠の壁が残っている。とか、名田山の下の防空壕の話などを説明。そこから虹村に行き、地下タンクの話。
などをすれば、あっと言う間にタイムオーバー。
慌てて支所3階に戻る。
それぞれの班の発見点を発表し合い、本日のユースカレッジは終了。当日の詳しい様子は、本家ユースカレッジのサイトをご覧下さい。 また、引き続きメンバーも募集しているようですので、興味のある方はサイトをご覧になれてください。
このようなイベントは過去に何度か参加させて頂きましたが、案内役を努めさせて頂いたのは今回が初めて。
話した内容が、参加者の方々にどの程度伝わったでしょうか。少しでも広の街や、街歩きに興味が増して頂けたなら私も本望です。
次回は呉市内の各地区での街歩き、その次はいよいよ…
楽しそうですね。難しく考えず、感じたまま「あ、面白いな」って思ったことを見つけていく。
そして、少しずつ街への愛着を深めて行ければ良いのかなぁ~…って思います。
皆さん、今回はお世話になりました。また機会がありましたら、お会いしましょう。
私自身も新たな発見があったりして、楽しい1日を過ごさせて頂きました。
ありがとうございました。主催の方々ご苦労様です。引き続き頑張られてください。
2008年11月24日
2008年3月2日(日) 大和ミュージアムの中にある、大和ホールにて、
呉近代化遺産 活用フォーラムが開催されたので、当然、こなきも出席してきました。
この日は、くるぱん共々での出席です。彼女は、このヘリテージイベントには実は初参加。
ちょっと早めにミュージアムに到着すると、どっかで見覚えのある小柄なお年寄り…
親父!!
父が来ていた。全然、来るとも何とも言ってなかったので、この場で出会って驚いた。
珍しいスリーショットとなった訳である。
受付を済ませ、ホールに入るとまだ人影はまばら。

定員200名となっている今回のフォーラム。どのくらい人が集まるかな…って、とょっと不安。
見慣れた顔の関係者各位が居られたので、挨拶挨拶。
しかし、入口で配られたパンフ。
とても素敵に出来ているね。デザインセンスがサイコーです。
「海・技・人」を温(たず)ねて「呉」を知る 呉近代化遺産 活用フォーラム
クゥ~、シビレルねぇ~。かっこいいじゃん!!
今まで歩いてきたヘリテージが見事に要約されてて、素敵よ。
とってもいい出来じゃわ。

理事長の開会挨拶に続き、フォトコンテストの受賞者表彰が行われる。
最優秀賞は賞状と賞品が贈られた。
引き続きヘリテージ調査隊の活動報告。隊長からのプレゼンは駆け足ながらも、私らが歩いた道を上手く紹介してくれている。

あぁ…そんなに昔のことじゃないのに、何だか懐かしい。
地球かぁ… 何もかもが皆 懐かしい
って、ソレは沖田艦長のセリフじゃね。あ、はい。
しかし、もちょっと前のことなのに、もう随分と時間が経ったような気がするのは年をとった証拠か。
ふと客席の方を見ると、聴講者が沢山いたのには驚いた。ほぼ席が埋まっている。
いや、本当に良かった。実は、あんまり人が来ないんじゃなかろうかと、心の中では心配していたんよ。
新聞などのメディアで宣伝した甲斐がありましたね。良かった良かった。
活動報告に引き続き、東大教授の藤森照信氏による基調講演。
今年から花粉症になっちゃったらしく、のどの調子が良くないとのことで、声が聴き辛いところもあったし、元気が無かった。事前に聞いてた話では、ほっとくとなんぼでも喋るってイメージだったから、ちょっと残念。
建築に関する造詣は深く、様々な角度からの知識をお持ちであることは間違いないので、今度は是非、平常のお元気なトークを聞いてみたいです。
引き続き、パネルディスカッション。
藤森教授、呉観光ボランティアの山元さん、九州大学の花岡さん、コーディネータは広島国際大学の砂本先生。

それぞれの立場からの、呉の近代化遺産とその活用方法についてのディスカッションはとても面白かったですよ。いや、お世辞言ってんじゃなく、ホントに良かったです。
特に砂本先生のコーディネートはナイス!!
やっぱりアタマのいい人は違うねぇ~。と、アタマの回転数の違いをまざまざと感じました。
2時間半のフォーラムは、あっと言う間に終わっちゃいました。
あぁ、とっても良かったですよ > かみもん3。
関係者の皆さま、お疲れ様でした。
とっても有意義なフォーラムでした。
呉ヘリテージ調査隊も、これで取り敢えずは一区切りですね。
しかし、コレで終わりじゃないですよね?細く長ぁ~く、呉ヘリテージのイベントは続けて行きたいですね。
私自身も勉強になることが多いですし、呉の良さをホントに認識できる、良い集いですよ。
落ち着いたら、またぼちぼちとでも動きたいですね。
追伸:大和ミュージアムの中にある大和ホール。今回のフォーラムが開催されたホールであるが、可動式の客席があることはWeb上でも告知されているけれど、このホールの素晴らしいところ。
多分、あのステージ後方の壁も可動式なんだと思った。で、その壁が無くなると1/10スケールの大和がドドーンと目の前に姿を現すと。
そんな仕掛けが隠されているホールなんじゃないかな?
あの壁、開けてみて欲しかったな…
2008年3月4日
こなきも参加してきました、 呉ヘリテージの『呉近代化遺産活用フォーラム』が開催されます。
みなさま、お誘い合わせの上、ぜひ、ご参加ください。 当然、こなきも行きます。
■■■■■呉近代化遺産活用フォーラム■■■■■
【会場】大和ミュージアム1階・大和ホール
【料金】無料
【定員】200名
【スケジュール】
13:00~ 開会挨拶・フォトコンテスト受賞者表彰
13:40~ 呉ヘリテージ調査隊の活動報告
14:00~ 基調講演:『近代化遺産からみた、呉市の財産』
藤森照信氏(東京大学教授)
15:00~ パネルディスカッション:
『呉市における近代化遺産の活用の方向性』
《パネリスト》
藤森照信氏(東京大学教授)
山元利成氏(呉観光ボランティアの会 会長)
花岡拓郎氏(九州大学大学院芸術工学府都市環境設計研究室)
《コーディネーター》
砂本文彦氏(広島国際大学工学部建築学科都市・建築史研究室准教授)
【主催】特定非営利活動法人呉サポートセンターくれシェンド
広島国際大学工学部建築学科居住空間計画学研究室
広島国際大学工学部建築学科都市・建築史研究室
【後援】呉市
中国新聞社
2008年2月27日
2008年2月9日。朝から雨模様のこの日、呉ヘリテージ調査隊の実地調査としては最後のイベント(泣
午後からマイクロバスに乗って市内を巡る旅である。
市バスに乗って、集合場所の呉中央公民館に着く頃にはお天気も回復し、風が強く寒いながらも、絶好のフィールドワーク日和となった。

今回の一行は総勢22名。すっかり見慣れた顔ぶれと、また新たにフィールドワークに参加された方も居られる。さぁ、しゅっぱぁ~つ!!
先ず向かったのは大空山。子どもの頃から何度も上がったことのある、広人には馴染みの深い山。まぁ、山ってほど高くも無いんじゃけれどね。こなきも、思い入れの深い場所ではある。小学校の遠足でも行ってるし、こなきの原点『ほどよく田舎 ほどよく街場 広町』をスタートした一番最初に掲載した写真が大空山からの眺めだったからね。
(注:大空山の住所は阿賀じゃなく、広だって知ってた!?)

マイクロバスは狭い山道を苦労して登りながら、大空山に到着。早速現地案内スタートです。案内頂くのは、前回の船上ツアーでも活躍頂いた、艦船研究家のこの方。この方、スゴイですよ。その筋ではかなりの有名な方で書籍も出版されている!!だから、ここ大空山の説明もとっても詳しく分かりやすい!!

で、いま説明しているのは、砲座跡地の様子。ココは、大空山に行ったことのある人なら誰でも見たことあるよね。子どもたちなら、横の斜面を走ったりしたでしょ!
真ん中に二つある丸い部分が砲座跡なんじゃけれど、実際には、ココに大砲(詳しくは臼砲)は据えられる事は無かったと聞いて驚いた。いや、今の今まで知らなかった。子どもの頃から、ココには大砲があったとばかり聞いてたから。そのことは、本日のガイドを務めて頂いてる、もう一人の詳しい方、ヴぁもさんのサイトのこちらの部分に詳しく書かれている。
で、初めて知ったんだけれど、砲台と保塁の違い。
海上の敵に向けて撃つのが砲台、陸上の敵に向けて撃つのが保塁。
早い話、海軍管轄が砲台、陸軍管轄が保塁ってことらしい。
大空山保塁の目的は、広湾から上陸した敵軍を攻撃するためのモノで、大砲から発射された弾は直線的ではなく、上空に向けて発射して孤を描くように飛んで敵に到着すると。で、敵からは見えないように山頂からちょっと後ろ側に砲を据えたと。そーだったとは、初めて知った!!

砲座跡の周囲を囲む部分。斜めのコンクリート造りの下の部分だけれど、この場所、砲弾を立てて置いておくための場所なんじゃと。知らんかったわぁ~。

こちらは指揮官が立って指揮するところ(って、初めて知った)。左奥に見えている石3個の上に立って、方位○○度、仰角○○度、撃てーッってやったんだろうか。

いま見ている、この建造物。砲弾を入れておく倉庫。ヴぁもさんのサイトの記述によると、砲側庫と言うらしい。
入口周囲のコンクリの丸ぁるい部分は全てセメント層であり、攻撃から砲弾を守るために厚い層になっているとのこと。

砲側庫の内部。二つある庫の内1つは入口に扉が付けられており施錠されていて中が見れない。
もう1つの方は中に入ることが出来る。中のスペースは幅3m×奥行6m程×高さ2.5mほどか。そんなには広くないが、突き当たり部分が綺麗に球状にくり貫かれている。

山頂に(昭和55年4月)建設されている展望台からの、広町の眺め。

展望台から、砲座部分を見下ろしてみる。砲側庫の上部に、コンクリ製のテーブルと椅子が出来ている。
あぁ…風が強くて冷たい。次の拠点にも向かわなくちゃならんので、急いでバスに乗ります。
次のポイントは高烏(たかがらす)保塁。音戸の瀬戸に近い場所やね。

ここにも砲側庫が3つあり、砲座跡も3つある。立入りできないよう、階段上部に柵がある…な。
近くにあった案内看板の文字を引用させて頂きます
高烏台のいわれ
瀬戸内海の景観を望むこの台地を「高烏台」と名付けたのは旧海軍が要塞砲台を管理し、これを「高烏台」と呼んでいたことによるものである。
高烏山はこの台地の北方休山連峰の中腹にあり神武天皇御東征の砌、八呎烏が御先導の道をたずんね、翼を休めたという伝説のあるところ。
呉湾に浮かんでいた烏小島も空海軍の拡張工事のため惜しくも削り取られてその島影を失ったが、厳島神社に仕える親子烏がこの島で鳴き別れたという言い伝えなどもあり、烏に因む地名が多い。
昭和三十六年大蔵省より旧海軍用地の貸与を受けこの一帯を都市公園として整備された。
呉市
古い遺跡、先祖の物語は大切にしましょう

大砲を撃つ兵隊さんの退避場所?こちらも上部のコンクリ層が厚い。右端の方の石積みが、樹木の根のチカラで崩れかけている。

休山方向にちょっと歩いて行くと、土地が盆地状に凹んでいる場所がある。
所謂キャンプファイヤーをする場所のようであるが(事実、ここでキャンプファイヤーしてるらしい)、ここは探照灯があった場所の名残りとのこと。
近くにあった案内看板の文字を引用させて頂きます
旧要塞砲台の沿革
この花崗斑岩造りの一連の構築物は、旧高烏砲台の跡である。
明治十六年第二海軍区鎮守府の候補地として呉港があげられ、明治十九年七月軍港設置とともに敵の艦砲射撃に備えて軍港防備の陸上砲台は陸軍において構築することになり、陸軍予算として閣議にあがったが、第一期計画からは除外された。
たまたま日清戦争が起こるにいたって、広島に大本営が置かれるなど情勢の変転に伴って再び砲台構築の議が起り、明治二十九年陸軍の手によって砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり、引き続き同三十二年から三ヵ月の歳月を費やして完了した。
後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用されたが、明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいものである。
呉市
古い遺跡、祖先の物語りは 大切にしましょう

平清盛の銅像の足元にも、遺構がある。
個人的な一言:蛇足ではあるが、(いまの時代となっては)平清盛も全く余計なことをしてくれたもんじゃ。音戸の瀬戸を切り開かずに陸続きのままにしておいてくれたら、橋を掛けたり、また朝晩の通勤渋滞も無かったのに…
って、まぁ1日で瀬戸を切り開いたってのも寓話らしいけれどね…。

清盛公の銅像からちっょと下って行ったところに、大きな建物跡がある。
兵舎跡とのこと。しっかりとした石造りである。

上から見下ろすには、そんなにも大きな建物には見えなかったけれど、中に入ってみると、その広さを実感できる。屋根も窓も扉も失われているけれど、どっしりとした石造りの壁面だけは、長い年月を経てもビクともせずに残っているのが素晴らしい。上部のアーチ組が美しいね。

音戸パーキング(通称:音パ)からの音戸大橋の眺め。定番ですな。ある意味、コレもヘリテージよ。
音パでトイレ休憩した後、アレイからすこじま(烏小島)に移動。
先ずはバスを駐車場に停める。駐車場になっている場所は、海軍工廠の工員養成所だった場所との碑がある。

碑の文面をそのまんま引用させて頂きます。
呉海軍工廠 職工教習所 工員養成所
跡地記念碑
大正七年(1918年)呉海軍工廠は中国、四国地方の小学校高等科二年卒業生より、厳重な試験により、優秀者を採用し、中堅工員養成の目的でこの地に職工教習所(後に工員養成所)を開校し、終戦(昭和二十年)までの二十七年間に約二万人の卒業生を送り出した。この生徒は見習工し云われ、羨望の的であった。
三年間の本科、選ばれて補修科、更に全国の工廠からの技手養成所等への道を設けられ名実共に工廠を担う者となった。
当時の軍隊に入営した者、又一般社会人としても優秀者、指導者として活躍し、広く見習工出身との名声を高めた。
昭和十三年には海軍工作科予備補修生(一般に工作兵と呼ぶ)制度が設けられ、他への流出を阻止されたこともうなずけるものであった。
学校は小さく期間は短かかったが我々に多く教訓を与えてくれたことに感謝する。
戦後、さの精神、知識、技術は各方面に発揮され日本復興と発展に大きく寄与されたことは広く認められた。
しかし、戦争に多くの学友が国難に殉じたことは惜しみても余りあり、決して忘れてはならない。
ここに同窓生より基金を募り、呉市の協力を得て懐しのこの地に思い出と功績を偲び記念にこの碑を建立した。
平成十年五月吉日 同窓会

この碑の横には地下壕の入口がある。当然、コンクリで塞がれているれけど。

また、工員養成所の山側(休山方向)には、このような…なに?これ?何て言うの??
見張り所と言うか、そんな施設の名残。

駐車場から下って行く途中、工廠神社があると言うので行ってみることにしたが、激しい階段が…

工廠神社の激しい階段の途中に、こんなコンクリート造りのモノが…
上で見た施設に良く似ているが、こちらは開口部が斜めに開いていることから、こっちは銃撃することを目的に作られているだろうとの話も。

開口部から、内部を撮影。ゴミが沢山投げ込まれている。とても臭う…(悪
古いビール缶もある。
画像奥の部分は下に向かって降りていく階段のようである。

その階段の行く先は…入口があるが、ここもコンクリで塞がれている。
防空壕などとは違い、ここの設備はかなり頑丈である。塞いでしまっているのが本当に惜しい。
内部に照明を付けるなどしてでも、一般に公開して欲しいね。
これだけのものが残っていることを、大切な遺産として扱って欲しいものです。←コレ、ヘリテージね。

階段の一番上まで行くと、神社があるのかと思いきや…
台座部分はあるものの、神社も鳥居すらもありませんでした。

上がったからには降ります。
おかしい。今日はトレーニングしに来てるのじゃないハズなのに、この激しい運動は何なんだ…
戦後、工廠神社は産業神社に変わったとのことですが、しかし何にも無かった。

階段下りたところに、工廠神社の存在を示す碑がありました。コレが唯一の名残りか。

さあ、海に出ました。アレイからすこじまです。「烏小島」と言う名前の由来は、こちらをどうぞ。
烏小島そのものは、現在の製鉄所の敷地内のどこかに埋没しています。あぁ…

戦時中の桟橋が今も残っています。(現在は使われていない?)
映画、海猿の中で、大和の出港シーンでも使われた、この桟橋ですが、砲弾などの資材を積載するためのレールが残っています。

その桟橋のレールを一直線に延ばした先が、このレンガ倉庫の黒い扉。
この倉庫が、当時は砲弾などを保管していたと言うことなんですね。

その桟橋の横に、古いクレーンが残っています。戦時中のクレーンそのまんまです。

いつもこの前は通っていますが、内部に入ることが出来るようになっているとは知らなかった。
クレーンは電動だったんじゃね。古いモータもそのまんま残っていました。

内部に入り込んでいるこなきを、かみもんさん が撮影してくれました。
クレーンの大きさが良く分かりますね。
さぁ最後。バスに乗り、歴史の見える丘に移動。

ここからのIHI造船ドックの眺めは圧巻です。大型200tのジブクレーン。
ブロック工法で作り上げられていく大型タンカー。左に見える屋根のあるドックで戦艦大和は造られたんですね。

陸の方を見ると、自衛隊総監部と呉市街地が見えます。

歴史の見える丘にあるIHIドックの記念碑(?)
第九工場との記述が見えますね。

こちらは戦艦大和の碑。「噫戦艦大和之塔」と書かれています。
詳しくはこちらのリンクに。
今回もとても興味深いヘリテージツアーでした。
で、今回が最後。残念。
市内の色々なところを探検し、ヘリテージなモノを探すと言うよりも、自分自身が勉強させてもらったと言うところが大きいですね。いい経験になりました。本当にいい経験でした。
主催の皆さま、今回もありがとうございました。とっても良い1日でした。
工廠神社の所で見た、コンクリ造りの監視塔(?)を活用して欲しいですね。ホントに勿体無い。
今回も呉再発見。ヘリテージな建物なども、もっと大切にして行きたいですし、何より、広地域でもヘリテージなモノを探してみたいです。
で、次のイベントは、3月2日に大和ミュージアムで開催されるフォーラムです。
こなきは当然行きます。是非、行きましょう、行きましょう。
2008年2月10日
呉のヘリテージ(近代化遺産)を探す旅。今回が5回目の実地調査じゃ。
2008年1月28日。am9:30に呉中央桟橋ターミナル1階ロビーに集合。
ちょっと出遅れた(汗
いつもの呉駅西の駐輪場に自転車を停め、急いで桟橋ターミナルに向かうと、もう既に沢山の参加者が集まっちょる。

いつものお馴染みさんの顔も多いが、今回は総勢52名(?)と、かなりの大人数。
船から呉市を眺め、大崎下島まで行き、御手洗で下船&散策。倉橋まで回り込んでから帰ってくると言う豪華コース。しかも、高速艇をチャーターするとなりゃ、そりゃ行く人多いわねぇ~。
am10:00中央桟橋から高速艇に乗り込みます。後ろに見えている潜水艦は、すっかり有名になったてつのくじら館。江田島航路と間違って乗り込もうとする人もおったw。

本日のツアーは、ガイドが素晴らしい!!具体的にココでお名前を披露して良いのかが分かりませんが、3名の方が代わる代わるにとても丁寧で分かりやすいガイドがあるんよ!
桟橋を離れた早々、IHIの建造中タンカーに最接近です。IHI、古い方には「呉造(くれぞう)」との言い方が馴染み深いかも。呉駅の方から見えているタンカーが左側のヤツ。これが300メートル以上の長さがあるらしいが、かの戦艦大和の全長は263mらしい。大和よりもこのタンカーはデカイのかっ!!
その大きさに圧倒されます。

次は、IHIに隣接している自衛隊の艦艇です。軍事関係に詳しい人なら、これらの画を見て沢山語れるんだろうけれど、オイラは全然ワカランです。この後、係留している潜水艦にも、メチャ接近!!こんなところに入り込んでもいいの!?ってところまで船が入っていきます。

その後は…
あぁ、見えてきた…休日には、あんまり見たくない光景。だけれど、いつもは丘から見てるから、海側から見るのも新鮮じゃったワ。ここも戦時中は呉海軍工廠製鋼部だったから、米軍からの空爆がとても激しい場所だったとの説明があった。へぇ~。

音戸の瀬戸を過ぎて、警固屋ドックが見えてきました。船は急速に速度を上げて下蒲刈方向に向かいます。

広湾のかなり沖を通過します。王子製紙(昔の東パル)の煙突が良く見えるね。今日は風が強いす。

船は本土から下蒲刈に掛かる、安芸灘大橋の下をくぐります。
いつもはこの橋をロードバイクで渡ってんのよね。当然、下から見たのは初めて。

上蒲刈の横を通過する際に、上蒲刈~豊島に掛かる工事中の豊島大橋が見えた。

am11:15 船は大崎下島の御手洗桟橋に到着っす。一同、下船。

いゃ~、恥ずかしながら…実は大崎下島って初めて来たんよね。(当然、大崎上島も行ったこと無いorz)
未知の島、探訪ーッ!!(一人盛りあがり=恥)
大崎下島の良いところは、桟橋降りてスグが観光スポットなところ。まぁ船の交易で栄えたところだから当たり前っちゃあ当たり前なんじゃけれど、歩いて2分もしないうちに、ここは日光江戸村!?ってほどの町並み。しかも、この家々が今も生活住居として使われているってんだから、これまた素晴らしい。
現地のガイドさんの話に聞き入るヘリテージメンバー一行。

少し歩くと石造りの鳥居が見えてきた。「御手洗天満宮」である。かの、菅原道真公がここの井戸で手を洗ったから「御手洗」との地名が付いた(諸説あるらしいが)との説もあるらしい。

ガイドさんは沢山説明したいんだけれど、どうも船の時間が決まっていて、あんまり長居は出来ないらしい。
足早に移動し、若胡子屋(わかえびすや)跡の建物に到着。昔の遊郭じゃね。かなり補修しているみたいじゃけれど、立派な建物です。御手洗の往時を偲ばせます。

内部も見学可能。なんか懐かしい雰囲気。講堂というか集会所と言うかに改装されているが、内部の装飾はとってもレトロ。遊郭2階部分を全部抜いて、このようなホール状になったとのこと。下の画、中央ちょっと右側、壁と壁の隅に小窓のようなガラス張りの部分がある。

そのガラス張りの部分がコレ。何だか、文字が書いてあるけれど読めない。
この部分は遊郭時代の壁紙らしいのだが、「お歯黒伝説」と言うものかあるらしい。
リンク先のページでは、かなり簡単に説明されちゃってるけれど、ガイドさんの話はもっともっとおどろおどろしいものでした(怖
のた打ち回る、血のついた手で壁紙に触った手形が現存しているらしいが…
アナタは見える!?

若胡子屋を後にして、町並みを歩きます。
どーよ、このレトロな町並みは!!竹原や倉敷とほぼ一緒ですな。

お寺に来た。ココは大東寺。残念ながら一休さんはおいでではない。

境内には立派なクスノキがある。ファインダーに入りきりません。
根のうねりがスゴイ…

本堂の中にお邪魔します。
ここも、伝統を感じる内装であるが、特に説明されていたのが欄間である。
頭が人間、体が鳥。「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が彫り込まれている。

大東寺を後にし、次に訪れたのは「乙女座」。レトロな映画館といった感じの建物。

乙女座の内部。みかん出荷が最盛期の頃は、みかんの選果場に落ちぶれていたらしいが、改装されて当初の様子を再現したものらしいが、レトロ感十分です。

振り返ると、二階席もある。
笑点のテーマが聞こえて来そう…

御手洗、現地ガイドの方。
ごめんなさい、お名前失念。

この後、参加者全員でお弁当を頂いて、御手洗にお別れ。
再び高速艇に乗って、倉橋島方向に向かいます。
向かうは倉橋島、亀ヶ首の 旧海軍工廠大砲試射場跡です。
以前に訪れたことがあるこの場所ですが今回は海上からの視察です。
海上からだと単なる平地ですね。良くワカンナイや。撤収!!

間もなく、倉橋島界隈の採石場が見えてきました。
何とデカイ採石場や!山ひとつ削ってるやん!!

続いて、塩の島で有名な三つ子島に来ました。
メキシコから輸入した工業用の塩(ナトリウム)が山積になってます。

塩の山の横には、戦時中の倉庫か何かの遺構が残ってます。

いよいよラスト。呉湾に浮かぶ小麗女島。呉から江田島に行くフェリーで近くを通るよね。
灯台だけがある小さな島です。

小麗女島に隣接する、大麗女島。こちらはちょっと大きくて、弾薬庫か何か良く分かりませんが、トンネル状のモノが7つほど見えます。
探検してみたいですねぇ~。ハイ。無理ですけれど..

この後、呉港に帰って来ました。
ん~、御手洗はヘリテージよりも、もちょっと時代が古いね。近代化遺産ってのとはちょっと違うと思うけれど、瀬戸内の歴史探訪って言う意味では、とっても楽しめたよ。
あと、船内でガイドを受けたんだけれど、ここら辺の島の山々には砲台跡が沢山あるとのこと。
呉湾の艦艇や工廠を守ってたんだね。
やっぱり、呉のヘリテージって海軍とは切っても切れない縁があるんよね。ソレは良いとか悪いじゃなく、呉に海軍が来たからこそ、今の呉がある訳じゃない。
だから、呉はそのことをもっと誇りにしていいんだと思う。佐世保や横須賀と比べて呉のスケールがデカイのか小さいのかは知らないけれど、呉のいいところを先ずは住んでいる人から認め誇りに思うことから始めるのが大切なんじゃないかな。
アナタの身近にも、普段の風景だから気がつかないけれど、実はヘリテージなモノが沢山あると思うんよ。
広にも、まだまだ沢山ある。ホームページではまだ公開してないけれどね。
ってことで、アナタの身近なヘリテージをケータイで撮影して応募しよう。
呉ヘリテージでは、今、「街角ヘリテージ」としてケータイフォトコンテストやってます。手軽に撮影して写メするだけで、豪華商品が当たるかも!!
2008年2月6日
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